05月5

太古の日本では一夫一婦制でなく多夫多妻制

石ノ森章太郎の漫画『日本の歴史』によると、弥生時代も、“多夫多妻制”だったそうです。
原始時代は乱婚制度であったと見て間違いありません。
     
日本でも大昔がそうであったということ。
     
当時性は共有されるものであり、欲や子作り目的という以前に、儀式であったのです。
決まった儀式の日に村の若者が集まり誰だろうと関係なく次はあの人、その次はこの人という風に乱交儀式をしていたのです。
     
ちなみにそこで出来た子は当然誰の子か分からないので、産んだ女性が必然的に高い権力を手にし、子供は村の共有の子供として育てられました。
     
シベリアや北極圏に住む部族には「旅人に妻をあてがう」という慣習がありました。
人口が少なく近親婚になりがちな世界に外部の人間の血を入れるという知恵でした。
乱婚と言えなくもなく、そういった事例も乱交に加えられると思います。
     
最近まで未開な生活をしていた民族の多くは、母系社会でした。
古代社会も母系社会の場合が多く、これは父親が特定できない社会だったことを意味します。
だから乱婚社会であったのは確かです。
     
       

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