09月6

明日を見つめて 10.転居

4月に入ってすぐの土曜日早朝、浩平は東京に向けて出発した。
彩の母・妙子が運転する車に、浩平と彩、浩平の母・美代子が同乗して
いた。

実は、浩平が入居する予定だったアパートが一週間前に火災に見舞われ、
入居できなくなってしまうというアクシデントが起きていた。
アパートの住人の不始末で火を出し、すぐに気づいた部屋の主が消火しよう
としたものの手に負えなくなり、119番通報。消防車が到着するまでの間、
在宅していたアパートの住人達が協力して鎮火につとめ、火勢を最小限に
抑えながら消防車の到着を待ち、大火は免れた。
出火元の部屋はかなりひどい状態であったが、他は、両隣室の壁を焦がす
程度で済んだ。それでも大量に水をかぶり、大規模な全面改修が必要となっ
た。失火の本人も入居者も、とりあえずの寄宿先を手当せざるを得ない。
死者や怪我人が出なかったことが、不幸中の幸いではあった。
入居出来るようになるまでには、数ケ月はかかりそうだという。

すぐに、管理会社から浩平の家に、代替のアパートを探すので待って欲しい
という連絡があったが、それを彩から聞いた妙子は、即座に北島家と親交の
深い知人に相談をした。その知人は、神奈川県川崎市にアパートを所有して
いた。
アパートは、川崎市中部の国道246号線沿いにあり、木造2階建てで各階
に4世帯ずつ。1棟8世帯の建屋が2棟向い合っている。そのうちの1棟に
3世帯分、東京・神奈川方面への長期出張者滞在用に北島が経営する会社
が長期で借り上げていたのである。
勿論、社員滞在用であり、そのまま部外者に貸し出すわけにはいかないが、
この時ばかりは、娘の恋人である浩平に突然降りかかった災難であり、急を
要する。
浩平が通うことになる大学は、入居予定だったアパートからは歩いても行け
る距離にあったが、川崎のアパートからは電車を使わざるを得なくなる。
それでも、通学時間は1時間程度のものだった。
すぐに妙子は浩平の両親に会い、とりあえずそこに入居してはどうかと勧め
た。入居してみて不都合がなければそのまま4年間、そこから大学に通って
もいいし、気に入らなければゆっくり転居先を探せばいいと。
また、家賃のことはこれから交渉する。若干は負担が増えるかも知れないが
どうするかと、浩平と両親に尋ねた。
佐藤家の側にしても迷っている時間はない。浩平の両親は、丁重に礼を言い、
その好意を受けることにした。
妙子は、アパート所有者の知人と条件を詰めた。

間取りは、玄関ドアを開けてすぐに3帖ほどの板間の流し場。その流し場に
接して汲み取り式の和式便所とユニットバスがある。流し場の先に、硝子
戸で仕切られた6帖の和室。和室には2帖の押入れと、半帖の板間が付いて
いた。
勿論、社員の長期宿泊用に使用しているから、ガスコンロや冷蔵庫、洗濯機、
テレビや小さなクロークなど、当面の生活に必要な電気製品や家具類は備え
付けられている。
他の一般入居者の家賃は、月3万円であったが、会社の長期借り上げ契約
の3部屋に、そのまま適用するわけにはいかない。
妙子は、大家の知人に相談し、1部屋の長期借り上げ契約を一旦解除し、
新たに、浩平を個人入居者とする賃貸契約に切り替えることにした。
問題は、家賃をどうするかである。
もともと、浩平が入居する予定だったアパートの家賃は2万円。
ただし、そのアパートの間取りは、6帖和室一間に2帖程度の板間の流し場、
トイレは共同で風呂はなく、近所の銭湯を利用するという条件である。
妙子は、できれば、入居予定だったアパートの家賃をそのまま適用して
あげたかったが、他の入居者とのバランスがあり、浩平にだけ1万円も安く
賃貸するわけにはいかない。
しかし、物件の条件が格段に良いとはいえ、電車通学という立地に加えて、
家賃が月1万円も多くなることは、浩平にとっても佐藤家にとってもかなり
の負担増になる。

結果、他の入居者から家賃のことを聞かれた場合には、契約は北島家が
会社から引継ぎ、北島家から佐藤家に特別に貸し出された物件で、浩平には
家賃のことは分からないと応えて欲しいということになった。
実際の家賃は2万5千円で折り合いをつけた。
妙子は佐藤家に、家賃は2万2千円であると言い、3千円は北島家で負担
することにしたが、そのことは、佐藤家には言わないでおいた。
入居者は佐藤浩平、契約者は北島寿治ということで契約書を取り交わし、
契約諸費用の明細書を家賃2万2千円に変えて別途、妙子が作成し、浩平に
渡した。

立地が違うとはいえ、川崎のアパートはそれほど古くもなく、家財道具が
揃っているために新たに購入する必要もなく、間取りや設備を比較しても
建前上の家賃2万2千円は、破格の安さである。

当然、入居予定だった東京のアパートを紹介した管理会社からは、礼金、
敷金、手数料、前家賃が佐藤家に戻ってくる。それを、妙子が紹介してくれた
アパートの契約費用に引き当てよううとしたが、妙子は、家賃と契約手数料
以外は要りませんといった。契約手数料だけは、間に立つ不動産を通す必要
があるので必要になるが、敷金・礼金は、大家が免除してくれたと。
これで、佐藤家が入居諸費用として支払う総額は4万4千円で済むことになり、
先に契約していたアパートの諸費用として支払っていた家賃、礼金、敷金、
契約手数料合わせて8万円分と、物件を押えるために支払った日割り家賃分
1万円を加えた返済額9万円から、差し引き4万6千円が浮いたことになる。

浩平の引越し一行は、午前中には川崎のアパートに到着した。
車が2台、ゆうにすれ違える間隔を開けて北側、南側に2棟並んだアパート。
北側の棟の1階、最も西側の部屋に入居することになっていた。
到着してすぐに、アパートの敷地の東側の一軒家に住む大家に挨拶に行く。
大家は、、長嶺亮ニと祥子という60歳を目前にした夫妻である。
この夫婦には、孝という一人っ子がいたが、その息子は、高校を卒業してすぐ
に、北島が経営する□□電子工業に入社してきた。
関東営業所に配属され、大手電機メーカーの担当者として頑張っていた。
入社後6年経って主任に昇格し、そろそろ嫁さんも考えなければと、周囲の
人達から言われていたが、休日に趣味の海釣りに向かう途中で事故に巻き
込まれて亡くなった。
彼に、早く嫁さんを見つけて連れて来て欲しものだと念願していた夫妻の
嘆き、悲しみは深かった。
ショックで寝込むようになってしまった妻の看病に疲れ、仕事にも身が入らず
に勤務していた会社を休みがちなってしまった夫の亮ニは、職をも失い、土地
資産を持ってはいたが、心労で何をする気も起きず、将来に希望を失って、
心中でもしかねない状況に陥っていた。
そういう夫妻の状況を見かねた寿治が、夫妻が所有していたこの土地に、
賃貸アパートを建ててはどうかと勧めた。
独身者向けの賃貸アパートを建てて、若い人達の面倒を見ていくことが、
亡くなった息子・孝君への何よりの供養になるのではないかと。
現在と比べて、はるかに大家と店子の関係が濃密な時代である。
土地を担保に銀行からの借り入れは出来るだろうし、2棟建てて、入居者が
埋まらなければ、1棟は北島の会社の関東営業所の独身寮として丸々借り
上げるということで説得し、会社の取引先から信頼できる不動産屋を紹介して
もらい、銀行借り入れから建設会社の手配まで、全てがスムーズに運ぶよう
に寿治が不動産屋に協力しながら目を配った。
首都圏という立地の良さから、完成後たちまちに入居者で埋まり、北島の
会社が1棟を借り上げる必要もなくなった。

「それはそれは。浩平さんは、北島さんのお嬢様とは許婚ですか。
 そりゃあ、大事にさせて頂かないと、罰が当ります」
と、大家の長嶺亮ニは言った。

その後に、一行は浩平の入居する部屋に入り、間取りを確認し、配置を考え、
不足の家財や日用品などを午後に買い揃えようということで、先に昼食を摂る
ことにした。
大家の家に戻り、妙子が「お昼をご一緒しましょう。出前を取って頂けますか」
と依頼した。「引越しそば」ということで、天ザルを注文した。
引越しにかかる食費や交通費などの費用一切は、美代子の申し出で、佐藤
家が負担することになっていた。妙子も浩平の両親に、あまり負い目を感じ
させてはいけないと考え、その申し出を快く受けた。
それでなくとも、双方の子供二人が交際を始めたばかりだというのに、佐藤
家は北島家の好意に甘えっぱなしで、申し訳なく思っていた。
浩平もまた、予想外に北島家の主導で自分の歩む先がどんどんと進んでしま
うことに、なにか北島家に絡めとられて行くようで、若干の違和感を感じても
いた。それでも、浩平にとって彩との関係が固まっていくことは、望んでいた
ことではあるし、まだまだ自分の意志でできることは限られている。
成り行きに身を任せることにしていた。

昼食を終えて、妙子と彩、浩平の三人は買物に出掛け、美代子は、拭き掃除
をしたいからと、部屋に残った。
三人は、北島家の会社と取引のある電機メーカーなどの紹介を受けていた
百貨店に向かい、その日に揃えなければいけない物、車でなければ運べ
ない物を優先にという理由で、真っ先に布団の展示コーナーを訪れた。
社員宿泊用の布団が押入に入ってはいたが、それは、もともと北島の会社の
営業所の備品であり、他の空き部屋に持っていくことにし、浩平用には、
新しい布団を購入することにした。
尤も、他の備え付けの家財も営業所の備品あったことに違いはないが、それ
らは、会社で廃棄処分にし、そのまま北島家で譲り受けていた。

「浩平君、ベッドの方が良かったかしら?」

「いいえ、狭くなっちゃいますから、布団でいいですよ」

「そうね、彩と一緒に寝ることもあるだろうから、
 どちらにしてもベッドじゃ狭いわよね」

「いや、そういうことではなく・・・ですね」

冷やかされながら、来客用にも一組必要だろうからと、浩平用と彩用に二組
を購入した。
電気製品では、備え付けられてはいたがかなり古くなった洗濯機を買い替え
る事にした。この時代は、洗濯槽と脱水槽に分かれた二槽式が主流だった。
あとは、・・・薬缶と保温ポットはあるが、炊飯器が必要だった。
電子レンジは、この頃には売られてはいたが、まだまだ高価な代物で、独り
住まいの学生が持てるようなものではない。
妙子は、どうせだから買ってあげようかとも思ったが、他の住人に嫉妬され
かねない贅沢は止めた方がいいだろうと思い直した。
他には彩の気に入りの柄のカーテンを買った。自分のセンスのなさを弁えて
いる浩平は口出しをしなかったが、彩も心得たもので、女の子が好むような
パステルカラーの色柄は避け、シックでシンプルな柄ものを選んだ。
部屋には、クロークがひとつ備え付けられていたが、浩平のコートや外出着を
入れれば目一杯になってしまう。普段着や下着などの収納が必要だったが、
和箪笥では部屋が狭くなってしまうし、高価な物を態々買い揃える必要もない
ということで、着衣用、下着用、書籍、小物類、それぞれの目的に適った収納
ボックスを何点か購入し、押入の空きスペースに積むことにした。
勿論、彩が尋ねて来た時に使えるように、余分に買い揃えた。
ここまでの買物の代金は、浩平が支払った。メーカー紹介のお陰で特別割引
券が用意されており、かなり割安で購入できた。
あとは、包丁や鍋釜類、食器類であるが、これは彩が調理し易いように道具
も大事だという妙子の言い分で、機能性、使い勝手も考慮して、少々高くて
も良い品を彩と妙子でチョイスした。彩のために選んだようなものだからと
浩平に言い聞かせ、妙子が支払いをした。

買い物を終え、店員にも手伝ってもらいながら台車を使って駐車場まで運ん
だが、妙子が借りて運転してきた大き目の社用車でも積み切れず、店から
軽トラックを借りて積み込み、浩平が運転することにした。
2台に分乗して寮に戻ると、美代子が丁寧に拭き掃除をし終えていて、部屋
は、見違えるように綺麗になっていた。
荷卸しをして、浩平は軽トラックを返すために再び乗り込もうとしたところで、
妙子は、彩も一緒に行って、夕食の食材と生活雑貨を買ってくるようにと言っ
た。片付けは、妙子と美代子でやっておくから、帰りは電車での道すがら、
最寄駅から寮までの間にどういう店があるのかを、ゆっくりと買い物をしながら
把握しておけと。
妙子なりの二人への配慮だろう。

最寄り駅から寮までは歩いて10分以上かかるが、八百屋、魚屋、雑貨店
からスーパーやファミリーレストラン、ファーストフード店、娯楽施設まで、
ほとんどが駅周辺に集中していた。コンビニエンスストアは、この頃はまだ
それほど多くはない。
ぶらぶらと歩き、思いついた物を買える店に立ち寄って、あれこれと生活
雑貨を買いこんだ。
なんだか新婚カップルのようで、彩はウキウキとしていた。
スーパーを見て回りながら、思い出したように彩が言った。

「浩平ちゃん。今度出て来るときに態々持ってこなくてもいいように、
 パジャマと下着をいくつか買っておきたいんだけど・・・」

「あっそ・・・どうぞ。その間にスキヤキの材料を調達しておくよ」

「じゃあ、買い終えたら、食材コーナーに寄るね」

その夜は、大家も招待してスキヤキをやろうということになっていた。

浩平が、両手一杯に調達した食材を抱えているところに、彩が戻ってきた。
二人で酒類のコーナーを通りながら、失敗に気付く。

「あ、ビールと米・・・どうする?
 とても持てないし・・・失敗したなあ。
 軽トラックで先に買って、持ち帰っておくんだった」

「一旦戻って、お母さんの車でまた来る?」

「それしか、ないか・・・」

とにかく早く帰ろうと、スーパーを出て少し歩くと、米と酒類を売っている個人
商店が眼に入った。

「配達、やってくれないかな?」
こういうときは、女の方が遠慮がない。彩は、店先の親父に頼んでみた。

「あの。お米を10キロと、ビールを1ダース、
 日本酒を1本買いたいんですけど、
 配達してもらうことはできます?」

「はいよ。それだけ買ってもらえるんだから、喜んで配達するよ。
 初めて・・・だよね。どこに運べばいいの?」

「長嶺荘なんですけど」

「ああ、良く知ってるよ。
 お兄ちゃん、そこに越して来たのかい。学生さん?
 で、どっちの棟の何号室?」

「A棟の104号室です」

「A棟の104?・・・あれ、そこは、
 何だったかの会社の社員が使ってなかったっけ?」

「そうなんですが、もともと借りる予定だったアパートが火事になって、
 途方にくれていたら、臨時で入居させてもらえることに・・・」

「へえ。そこの会社のお偉いさんとでも知り合いかい?」

彩が割り込む。
「その、私の父がその会社を経営しているものですから」

「ありゃ。じゃあ、お姉ちゃんは、社長のお嬢さんかい」

「はい」

「で、お兄ちゃんは?・・・ああ、恋人かあ!」

「まあ、そんなとこ」と、浩平が言い終わらぬうちに、彩が割って入った。

「はい。彼と私は許婚者です」

「ほう、許婚者?・・・それじゃあ、将来が約束されてるようなもんだ。
 将来の社長さんか」

浩平は言いよどんだ。
「そうと決まったわけでは・・・」

「よっしゃ。そういうことなら、適当につまみの乾物類もサービスしちゃおう。
 そうだ。今、手に持ってる荷物も重いだろうから、一緒に運んであげるよ。
 30分後くらいでいいかな? お名前は」

「佐藤です。お願いします」

「あいよ、佐藤さんね。毎度ありい!」

これで、全て調達は完了。最低限の小物だけを手に持ってアパートに引き
返した。

「助かっちゃったね。あれだけの荷物、持って歩くの大変だもん」

「確かに。アパートの人たちはお得意さんなのかな?」

「あの感じだと、結構、電話で注文を受けて配達してそうだよね」

「そうだね。米がなくなったときは便利かも」

この夜は、大家の長嶺夫妻を交えて賑やかな宴となった。

「息子が戻ってき来てくれたみたいで、嬉しいね。
 丁度、浩平さんの歳から、うちの孝は北島さんのところに
 お世話になったんだから」
宴の途中、長嶺祥子は、しんみりと涙ぐんでいた。

浩平と彩の母親二人は隣室に一泊し、翌日早くに妙子の運転する車で帰って
行った。特に、美代子は、浩一を一人残して来たことが心配で仕方がなく、
浩平の無事入居を確認出来れば、一刻も早く帰りたかった。
浩平の進学する大学は、6日後が入学式とオリエンテーションであり、彩の
進学する地元の大学は、4日後が入学式であったため、彩は、3泊して行く
ことにした。
母親が帰っていった日曜日は、同じアパート2棟の住人たちに入居の挨拶を
して回り、浩平の大学までの電車の乗り継ぎを確認したりして過ごした。
食事は外食をせず、彩が浩平の食べたいものを聞いて、栄養バランスを考え
た料理を作った。好みの味付けは、浩平の母・美代子から受け継いでおり、
それを彩なりにアレンジしていた。
2日後の月曜日には、二人で区役所に赴いたり、銀行口座を開設したり、
電話を申し込んだりと、浩平がこの地の住人になるために必要な手続きを
行った。
川崎市の中心は最南部の川崎区であるが、南・北に長細いこの市の中部に
位置するアパート周辺は、意外なほど田舎だった。東を流れる多摩川を渡れ
ば、すぐに東京の高級住宅街もある世田谷区だとは思えない。
大家の長嶺から、「ちょっと前までは、ほら、あそこの小高い山の中から狸や
野兎が出てきたもんだよ」と聞き、驚いた。
ただ、浩平たちの故郷とは違い、どこまでも切れ目なく住宅、民家やビルなど
の建物が続いている。地権が複雑に入り組んでいるためか、街の造りが雑然
としており、細く込み入った道路が交差し、どれもが曲がりくねっている。

二人の母親が帰郷した日から、当然のごとく夜の営みが行われたが、いくら
隣室2世帯が空いているとはいえ、あまり大きな音を立てるわけにもいかず、
声も抑えざるを得ない。風呂は、多少遅い時間になっても遠慮なく使える
ことは救いだったが、二人で入るには少しばかり狭い。

「なんか、思い切り楽しめないね」

「だいたい、彩の喘ぎが大き過ぎなんだって」

「だって、出ちゃうんだもん。それでも、抑えてるでしょ!
 ま、しょうがないか・・・」

「しょうがないよ。
 最初に入る予定だったところなんか、風呂は銭湯だし、
 部屋だって、とてもエッチできるような雰囲気じゃなかったよ」

「そっか。ここで良かったと思わなきゃね」

などと話しながら、きっちりと2回戦から3回戦くらいはこなしていた。

彩が帰郷する日、彩は、最後の洗濯をし、浩平のために朝食の支度をしなが
ら冷蔵庫に入れておけば3日から4日間ほどは日持ちするおかずをタッパに
つめておいた。
朝食はパンにしたが、夕食用の御飯がすぐに食べられるように炊飯器の
タイマーをセットした。
朝早めにアパートを出て、彩が帰郷するための東京都内のメインターミナル
まで行き、その駅周辺の映画館に入った。
それまでにも映画を観ようと、浩平のアパートの最寄り駅周辺を探してはみた
が、残念ながらその辺りには、日活ロマンポルノの上映館しかなかった。
映画を観た後、近くの洋食屋で早めの昼食を摂ったが、彩がチケットを買った
列車の出発の時間まで3時間近くある。
ブラブラするにも周辺の勝手が分からず、駅からそう離れていないラブホテル
に入った。
「もう暫く会えない」という共通の思いが、二人を燃え上がらせた。
衣服を脱ぐのももどかしく、部屋に入るなり、彩の下着をずり降ろして、立ち
バックで貫いた。
彩は、何の遠慮もいらない場所で乱れ、大きく叫び、喘ぎ、すぐに絶頂を迎え
た。毎日吐き出していた浩平は、溜まっているわけはない。まだ果てぬまま、
乱暴にしかし、破れたりしないように気をつけながら彩の着衣を引き剥がし、
ベッドへと運んだ。
彩を四つん這いにさせ、尻を引き寄せ、激しく後から突いた。
彩が2度目の絶頂を迎えたとき、合わせるように浩平も放出した。
暫く、激しい息遣いで二人ともベッドに転がっていたが、彩がしがみついて
来た。
浩平は抱き寄せ、彩の体をさすり、キスをしながら体力の回復を待って、彩を
抱え、浴室に向かった。
浴室で体を洗い合ってから、浩平は彩の体中を嘗め回した。
強く、弱く。優しく、激しく。彩の小さなバストを捏ね回し、乳首に吸い付き、
両足を大きく開かせて、小陰唇を音をたててしゃぶり、陰核を舐め、膣を掻き
回した。
彩は、大きく仰け反り、激しく喘ぎながら2度、3度と達した。
浩平が離れると、彩が浩平のペニスを握りしゃぶろうとしたが、浩平はそれを
拒み、浴槽を背にしてあぐらをかき、彩を引き寄せた。
彩は、浩平にまたがり、ペニスを掴み、自分の陰裂にあてがうと、味わうよう
にゆっくりと中に埋めていった。
「浩ちゃん・・・浩ちゃん」
と、何度も浩平の名を呼びながら、激しく腰を動かした。
上下に動かすというより、激しく回し、グラインドさせている。
浩平は、自分でも腰を突き上げながら、彩の乳房を揉み、乳首にむしゃぶり
つく。
今度は、浩平が放出する方が早かった。
彩は、浩平の精液が自分の中に注ぎ込まれるのを感じながら、うわ言の様に
「もっと・・・もっと」と呟きながら、ゆっくりと腰の上下運動を繰り返した。
果てた後も二人は繋がったまま。彩はぐったりと浩平に覆いかぶさった。
息を整え、シャワーを浴び直し、ベッドに戻ってから更に名残惜しそうに、
今度はじっくりと優しく愛撫をし合った後、正常位で繋がった。
何度もキスを繰り返しながら、一気に達するような動きではなく、ゆっくりと
高まる快感を味わうように、徐々に昇りつめていった。
最後は、二人とも痺れるような長い快感の中で果てた。
暫くそのまま抱き合っていたが、既に2時間が経過しようとしていた。
彩は、もう一度軽くシャワーを浴び、その間に浩平が散らばった二人の衣服
や荷物をまとめ、先に身繕いを済ませた。
シャワーから出た彩は、急いで濡れた髪を乾かし、さっと衣服を身に着けて、
ホテルを後にした。彩は、このときまだ化粧はしていない。スッピンを晒しても
なんの問題もなかった。

別れのとき。浩平は彩に弁当と飲物を買ってやり、席まで持って行った。
出発の時間が迫っている。

「じゃあ、気をつけてな」

「うん。浩ちゃんも・・・ちゃんと食べて、元気でいてね。
 5月の連休には、また来るね」

「そうだな。ま、彩は実家での生活だから、何の心配もないよな」

「そうよ。浩ちゃんは何かあったら、大家さんに相談してね。
 今週中には電話も入るでしょうから、電話、頂戴ね」

「わかった。じゃ、元気でな」

「うん。さよなら。またね」

ホームから、ゆっくりと走り出した列車の窓に向かって、見えなくなるまで
手を振り続けた。
このとき、どちらかといええば、感傷的になっていたのは浩平の方だった。
彩は、浩平との関係がゆるぎないものになったことを確信し、不安定な精神
状態から解放され、強くなってていた。それに、浩平は浩平らしく、しっか
りと独り暮らしの自由を楽しみながら、学生生活を謳歌していくだろうと、
心配もしていなかった。
いずれにしても、二人にとって新しいステージの幕が開いた。

浩平が大学に進んだこの頃の世相。
日本では、浩平が中学生の時に、ニクソンショックによる円・ドルの固定レート
の切り上げがあり、円は対ドルで360円から308円へと、17%近い切り上げが
断行され、間もなく変動相場制へと移行。円は加速度的に上昇した。
高校在学中には、第一次オイルショックの余波で1955年から18年間続いた
高度成長期が終焉を迎えている。
そして、浩平が大学へ進学したこの時期、各大学のキャンパスでは、70年
安保の余燼がまだくすぶっていた。過激な学生運動の残党が多く残る大学
では、主要行事のボイコットなどが繰り返され、学生を評定するための試験
さえまともに行えない大学もあった。
ただし、そういう偏頗なイデオロギーに酔った学生は、この頃にはごく少数で
あり、浩平も含めて学生の大勢としては、ノンポリの事なかれ主義が横行して
いた。
最も活気に満ちていた日本を支えた団塊の世代は社会に進出し、巨大な
労働エネルギーが産業界に注入されたかに見えるが、一方で日本の産業界
は構造的な変革期にあり、労働人口が急激に膨らむ中で、止むことのない
円高と、一部発展途上国の経済力の高まりを受けて、経済大国日本を築き、
牽引してきた製造業を中心とする産業の空洞化と、それに伴う雇用環境の
悪化を懸念する声は、経済学者たちの間で静かに広がっていた。
そういった国際経済関係上の背景を踏まえて、知識集約型産業への転換を
模索する動きは始まっていたが、新しい産業構造が確立する前に、十数年後
には金融投機へのあくなき欲望が日本経済を覆い、実態のないバブル経済
へと突き進むことになってしまったのは、周知のとおりである。

しかし、他の同世代の学生たちと同様、そういう世相を肌身に感じる事のない
まま、浩平は4年間の学生生活を送ることになる。
世相がどうであるかということよりも、まだまだ浩平にとっては、家族や彩との
関係こそが重要であった。
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