早くに父を亡くした俺は母一人子一人で暮らしてきた。
母への思いは人一倍だった。
そんな俺と母に降りかかった悲劇と
俺がヤクザと呼ばれるようになった経緯を
ウィスキーのボトル片手に語らせてくれ。頼む。
実家の玄関を出ると道を挟んだ向こう側に二階建ての間口が広い平べったい造りの建物がある。
くすんだ壁の色は年季を伺うことができる。
俺が生まれる前、祖父の代からあるのだから当然だ。
一階部分はガレージになっていて、
そこに並んで駐車している軽トラックも建物同様に、かなり年季が入っていたが
車体は経営者の清廉な人柄が反映されているかのごとく
いつもピカピカに磨かれていた。
そんなガレージで忙しそうに動き回っている人影があった。
小柄な体つきの老いた男。
軽トラックに顧客へ納品する商品を運びこんでいる。
羽織った作業着の背には「サトウ産機」の文字が刺繍されていた。
「お疲れー」
俺は思わずこみあげてきた嬉しさを含んだ声で挨拶した。
年齢を感じさせない動きで、ぱっと振り向いたその老人、、辰也さんの顔に喜色が広がって、
「お!秀樹さん! どうでした?首尾は?」
俺は、祖父の代から我が家を支えてくれているこの老人が大好きだった。
すぐに親指を立て、グーのサインを送った。
「おおお!やりましたね!
社長!社長!秀樹さんが!」
大声で叫びながら社内に入っていく辰也さんに続いて中へ入ると
「見ればわかるよ」
かなり素っ気なく、社長と呼ばれた中年女性は答えて、
切れ長の眼が俺を見た。
長身で豊満な身体を上は辰也さんと同じ作業着が、
下はデニムのジーンズが長くスラリとした脚と張りのあるヒップを包んでいる。
長い髪を大きく束ねて、年齢にしては化粧っけの薄い顔は、端正な美貌と言って良いレベルだろう。
これが、豊洲に根を張って3代目になる「サトウ産機」の女社長、佐藤遥。俺の母だ。
「うまく纏まったみたいだね」
女社長は表情を変えずに、そう言った。
しかし、内心は、飛び上がるくらいに相当嬉しかったはずだ。
町内会の会長、清水からの紹介で豊洲市場へ移転する業者達から
移転に伴う冷蔵・冷凍設備を大量に受注したのだ。
高校を出てすぐに家業を手伝い出した俺にとって、
この大きな受注が初めての仕事だった。
生まれる前から知っている町内会長からの斡旋なのだから、失敗するはずもなく威張れたことではないが
それでも跡取りとして周囲から認められた様な気がした。
「秀樹が来たから、始めるよ!」
事務所の中に澄んだ声が大きく響いた。
男勝り、姉御肌、様々な形容詞で称される母だ。
たった一声で場の空気が引き締まる。
パンッパンと小気味よい拍手の音が響く。
社員一同が揃って事務所の神棚に手を合わせる。
受注した大きな仕事の無事を祈る、、、大きな仕事の前にはいつもやる行為だ。
女社長のカリスマのなせる業なのか全社員が熱心に手を合わせていた。
儀式が終わると
長い髪を揺らして女社長がこちらに向き直る。
すっと背筋の伸びた凛然たる立ち姿。
並んだ社員たちと揃いの、男物の作業着がオーダーメイドのように身に馴染んでいる。
(胸元の大きな膨らみは若干窮屈そうだが)
「皆!よろしくお願いね!」
「はい!」
全社員から心地よい返事が一斉に返る。
この受注をきっかけに2016年11月7日の移転日に向けて、社内は大忙しになった。
大手メーカーから機器を買い付け、当社で顧客に合ったカスタマイズをしてから納品するのが主な仕事だ。
今までにない大きな仕事だった。紹介してもらった町内会長の顔もある。
まさか納期が遅れるなんてわけにはいかない。
加えて、背後には東京都が付いているという安心感もあった。
だから、当社は納品予定の機器類を事前に買い付けを行い、万全な準備を取ることにした。
しかし、それが、大きな仇となった。。。
ご存知の様に豊洲市場への移転は小池都知事の意向で先送りになった。
移転業者達には都が損失を補填するということだったが
我々のような出入り業者には何の補填もない。
当時は、移転が延期なのか、下手をすると中止ということさえ有り得た。
当然、仕入れた冷機類は納品することもできず
にもかかわらず、仕入れた機器に対する支払いは発生する。
売り上げが立たない状態で莫大な支払いを行うことは
当社の余力では到底無理で
俺達には某大手メーカーへの支払いを待ってもらう以外方策がなかった。
「移転さえ決まれば売り上げが入ってきます!」
俺と母は必死に頭を下げた。
大手メーカーの担当は、俺とそう変わらないような母と比べればかなり若い男達だった。
「待つって言ってもねえ・・」
一人が難色を示す表情をしたが
一番年配な男が
「まあ、4月移転って話もあるし、とりあえず、3月まで待ちますか?」
助かった!
「ありがとうございます!」
俺達は喜んで礼を言った。
しかし、考えが甘かった。。。
「遥社長、上だけで良いですよ」
「いいっすね!とりあえず誠意を見せて貰いましょうかw」
「な、何を言っているのですか?」
なんのことか分からない母に男達は嫌らしいい笑いで応じた。
「結構多いんですよ、遥社長のファンって、なあ?」
「はい、実は僕もいつも颯爽としている社長に憧れています。」
「本当に分かりませんか?
支払いを待ったところで、俺達が上から怒られるだけで、何のメリットもないんですよ」
「なあ、お前ら、上だけで良いだろ?」
「そうですね、そのデカパイ、初めて会った時から気になっていたんですよねw」
「はい、僕も、そのデカパイを生で拝めれば大満足です!」
「な、何を言ってるの!冗談はやめてください!」
「冗談? 冗談じゃないんだけど?」
男は社会人としての敬語を捨て、弱った獲物を追い込む目になっていた。
「ていうか、自分の立場分かってる?1億近いけど払えるのかよ
支払い3末で良いから、、社員達のために、一肌脱げよ」
「で、できるわけないでしょ!」
「ほう。。じゃあ、残念だけど、3代続いた会社も、お終いだな
従業員達、可哀想に」
「結構、年配の方も居ましたよね?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。移転さえ決まれば、問題なく支払えるのです」
「ぶっちゃけ、そんなことどうでも良いのよ。
要は、あんたが脱ぐか、脱がずに倒産するか?って選択の話なのよ」
「そ、そんなっ」
「まあ、嫌ならしょうがない、交渉決裂ってことで、帰るか」
「まっ、待ってください!」
こんな母を見るのは初めてだった。
いつも堂々と颯爽としていた母が嘘の様に
まるで男達に縋り付くような態度だった。
その理由は分かっていた。
数日前
うちが仕事を請け負った移転予定の業者の一人、米山さんという人が
質の悪い金融会社に手を出しているという噂が
町内会長の清水を通じて入った。
都からある程度の補填があったはずの移転予定の業者でさえ、零細企業では手詰まりになっていたのだ
「ほ、本当に3末にして貰えるのですか?」
「ええ、約束しますよ。社長のことだ。書類持ってきているんでしょ?なんなら今、ここでハンコ押しましょうか?」
「本当ですか!助かります!」
え?
本気でこんな卑劣な奴らの前で肌を晒す気なのか!
母はどうにかなってしまったのか。
「ちょっと待てよ!」
いそいそと書類を並べる母に向かって俺は声を張り上げた。
しかし、「お前は黙っていなさい!」
母は俺を怒鳴りつけるなり、
素早くジャケットを脱いで
中のニットまで思い切ったように捲り上げて脱ぎ捨ててしまった。
「おおお!」
男達が歓声をあげる。
それもそのはず
白のブラジャーだけでは、豊満な乳房を完全には隠すことができず
その全容がほぼ露わになっていたのだから。
「で、でかい!」「まじででけえぞw」「すげえ」
「そちらに日付を入れて、社印をお願いします」
涎を垂らす勢いの男達に向かって母は押印を急かした。
「なるほど、その色っぽいブラジャーはハンコ突いてからのお楽しみってわけですなw」
ふざけるな!
「ば、馬鹿な真似は止めてください!」
俺は耐えきれず、再度声をあげた。
ところが、
「いい加減にしなさい!どこまで子供なの!
お前は出ていきなさい!」
母はすごい剣幕だった
「・・・」
何も言い返せない。それでも何かを言わなくては。
そう焦っていると
今度は俺の耳元に顔を寄せてきた。
「他に、どんな良い方法があるの?お願いだから・・・出て行って・・お前に見られたくないの・・」
母は囁くように言った。
本当にどうしようもないのか?
一瞬、金融屋に金を借りることが頭をかすめた。
いや、だめだ。
町金にだけは手を出してはいけない、それは前社長である親父の遺言だった。
どう考えても長年我が家を支えてくれた従業員達や会社を守る方法は思いつかない。
俺にできることは、ただ一つ。
大人しく部屋を出ていくことだけだ。
俺は男達に目も向けられずに、黙ったまま部屋を出ると
静かにドアを閉めた。
自然と涙が溢れ出ていた。
すぐに部屋の中から、一際大きな歓声が上がった。
「まさか見せるだけってわけじゃないんでしょ?w」
「そんな訳ないでしょw
御社のサービスはエンドユーザから評判良いらしいじゃないですか」
「とりあえず、その書類の説明でもして貰いましょう。その間、揉み放題ってことで良いですかね?」
嫌でも男達の下劣な声や嘲笑が耳に飛び込んでくる。
俺は母が晒した屈辱を思って、耳を塞ぎながらその場に蹲った。
女社長の血の滲むような努力によって、
当社は何とか危機を先送りすることができた。
しかし、ご存知の様に2017年になると
4月に移転するどころか
地下から基準値を大きく上回る毒素が発見され、
マスコミなどは移転そのものが無くなるのではないかという情報まで流し始めた。
「米山さんのところの奥さんと息子さんが亡くなったよ。無理心中だったらしい。」
え?
あまりのことに声さえ出てこなかった。
米山さんというのは、当社が冷機類を納品することになっている豊洲市場へ移転する業者の一人だ。
質の悪い金融屋に手を出した話は聞いていたが、まさか、心中なんて・・・。
「可哀想な話さ、旦那が借金で首が回らなくなったって話は知ってるよな?
借金の原因は例の市場移転騒ぎでさ、誰に踊らされたんだか、無茶な投資を行ったんだとさ。
そりゃあ、都の気持ちばっかしの補填じゃあ足りんわな
ほんと、ばっかだよなあw」
な、なんて言い方をするんだ!
町内会長の人を馬鹿にしたような言い方に
俺はただ口をパクパクさせるだけだった。
上品な美しい顔立ちの奥さんと
ニコニコ明るい表情の可愛らしい息子さんの顔が頭に浮かんだ。
「破産宣告とか、色々あったでしょうに、何も、死ななくても・・・」
なんとか声を出すことができた。
「かなり質の悪い金融屋から金を借りちまったらしいんだ」
「それとさ、、これは内緒だけど、、」
会長は、そう前置きすると、俺の耳元に顔を寄せて囁いた。
「奥さん、あの年になってから風俗を始めるのは、かなり辛かっただろうな」
「えっ!」
驚いて会長の方に顔を向けると
目の前に、下品なニヤついた顔があった。
「あの奥さんさあ、わりと美人だったろ?
前々から抱いてみたかったんだけどさ、
身体がなあ、実際、抱いてみると、イマイチだったんだよなあ」
な、なんだって?
我が耳を疑った。
呆然とする俺に向かって、会長はなおも話を続けた。
「借金で苦労をさせられたからかなぁ
痩せギスっていうの?
知り合い効果ってやつで最初は興奮したけど、、
なんだか痛々しくてなあ、その後も1回だけは指名してやったけど、
それっきりだったな、俺はな。他の奴らは通ったのも居るようだけどw」
「あれじゃあ、安くして、数取らせるしかないからなあ
最後の方はボロボロだったらしいぜ。
吉田の話だけど、、、ああ、勝鬨にあるケチな不動産屋な
奴の話だと、知り合いの吉田の顔を見ても誰だか分からずに
三つ指ついて普通にご挨拶したんだってさ。
何言っても、「かしこまりました」っていうだけのセッ●スマシーンだってさ。
奴め、詰まらんとかボヤいていたぜw
俺の時は、顔を見た瞬間、目を大きく見開いちゃってさ、
嫌ぁとか言って、逃げようとしたんだぜ」
酷すぎる話だった。
都の政変によって、仕方なく風俗に落ちた普通に幸せだった人妻を
近所の旦那衆達で面白半分に抱きに行ったというのだ。
とても他人事とは思えない。
いや、実際に他人事ではなかった。
2月も半ばになり、身も凍るような寒さの晩だった。
その晩、母は深夜になっても帰ってこなかった。
嫌な予感がして秘書的な役割もしている総務の人の携帯に連絡した。
聞くと、案の定、母は俺に内緒で大手メーカーの担当者と会いに行ったという。
延長して貰った期日の3月末にも、到底、支払うことはできそうもなかった。
会社と従業員を守るためには、何とかして、正式に市場移転が決まるまで待って貰うしかない。
既に一度、母は胸まで晒して何とか期日を伸ばした後だ。
あの晩の男達が笑いながら言ったセリフが頭を過った。
『もしも、3月末でも駄目だったら、、まあ、それでも諦めないで下さいな』
『そうそう。おっぱいの次は、デカケツでも拝ませて貰らえればOKですからw』
『そうだね、その熟れた身体、明るいところで隅々までじっくり観察させて貰いましょうか』
『想像しただけで胸熱だわw』
俺は気が狂いそうになりながら、何度も何度も母の携帯に電話した。
しかし、母は電話に出なかった。
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