「女性は貞淑であるべき」という価値観が貴ばれたのは、長い日本の歴史からしたら、一部分であり、日本人は文学にしても法律にしても、「性にゆるい」方が、人々に受け入れられていた。
率直に言ってしまえば、昔の日本人はエロかった。
と言うより、エロいこと(性愛)を「ダメなこと」「恥ずかしい」と思うよりも、楽しむ傾向の方が強かった。
平安時代、女性は「多くの男性と関係を持てる恋愛上手」=「セックスアピールがうまい」ことが魅力だった。
「家庭的で母性があり、かいがいしく夫の世話をする妻」の地位は低く、家庭的であるがゆえに、身なりがおろそかになる妻を、夫は「がっかり」した。
平安の女性貴族に求められるのは、何よりも「女であること」。
平安文学に書かれた理想的な女性は、「現代人から見ると育児放棄しているような母親」だ。
なぜ、セックスアピールのうまい女がモテたのか。
男性からしたら、いつ何時、浮気するかもしれない、もしくは、他の男が夢中になりかねない「エロい妻」は、イヤではないだろうか・・・。
平安時代は「母系的な社会」だった。
家土地は娘に相続され、女の財産権は強かった。
また、産まれた子どもは母方の親族で育てることが一般的で、結婚しても女は実家から離れないことも多く、男が半年間自分の家にやって来なかったら離婚も成立する。
なので女性は「じゃあ次!」という感じで、また別の男性と結婚して子どもを産み、自分の一族を増やしていった。
そのため、常に男を引き寄せるべく、見た目を磨き、色っぽい歌を詠むということが大事な営みになる。
つまり、平安時代において「父親が誰か」という観点はそれほど重視されず、女性からしたら「私が産んだ子ども」であればよかった。
だが「父系社会」の女性は違う。
結婚したら夫の家に入り、自分も子どもも、夫一族の一員になる。財産は父から息子に引き継がれるので、男性は「確実に俺の息子である」という確証が必要だった。
よって妻が夫以外の男性と関係を持つのは以ての外だし、なるべく男を寄せ付けない質素で家庭的な「貞淑な女」が求められた。
女性に求められる資質は、社会の仕組みによって大きく異なっていたのだ。
【引用元】