現代的「エロス」でもって、当時の夜這いを説明することはできないし
意味付けをするのは無意味なことではなかろうか。
ムラの男性陣があつまっては「あそこのカァちゃんは締まりがよかった」
なんていう猥談に興じることがあったろうことは想像するに難くないし、
そういった声に対して夫が悩むこともあったと思うんだ。
もちろん、近代以前はいまほど「自意識」や「プライバシー」みたいな個人の領域が
自他ともに尊重されていなかっただろうから、いわゆる「明け透け」であることに対する
悩みは少なかったかもしれないね。そのことの良し悪しはともかくとして。。。
だから、「自分より隣の田吾作どんとの情事の方が良かったと思ってるんじゃないか」とか
悩んじゃう夫の割合は多くなかったかもしれないし、同じように女房も「それはそれ、別に
セックスが上手い下手なんてどうでもいいわ」って恬淡としたもんだったかもしれない。
柏木ハルコの「花園メリーゴーランド」で、
主人公の少年と宿のおかみさんが結ばれたときに、少年が問いかけるんだな。
「夫も子もある身で、僕とこんなことしてて何とも思わないんですか?」って。。。
それに対するおかみさんの答えが奮っているんだ。
「こんなことは食べたり飲んだりすることと変わらない。生活の一部だ」と。
この発言こそまさに、「現代的エロス」を超えた視点をお母さんが有していることを
示すものだし、その視点自体よりも「現代的エロス」のみを尊ぶような議論では
底が浅いと言われるのも仕方ないかもしれないね。