京都洛北の大原社の雑魚寝や、
神戸市長田の駒ヶ林のざこね堂や、
古きよき、おおらかな時代に、
神仏の前で行われた、乱交について語り
これがために嫉妬の心もなく、古くから色欲のために身命を失う者なし
出羽の国の山寺
毎年七夕の夜に麓の町村の男女が登山し、民家に宿り枕席を共にする。
またこの奥の最上川の辺りにめたくた村というのがあり、常に男女が往来寄宿する。
めたくたとは滅多苦多という意味である。
さらに、寛政の頃に書かれた書物に、山寺に近いさばね峠も古くはざこね峠と称していたとある。
越後の国大面の鹿嶋神社
恒祭日には近郷の若い男女が社殿に集まり、夜になると雑魚寝をした。
享保まで常陸帯の神事もあったと伝えられている。
毎年八月十五日の祭礼の夜には、雑魚寝と言って、近村は言うに及ばず、遠く数十里から男女が集まり通夜してにぎわった。
汽車も汽船もない時代に数十里の旅をするとは誇張しているように聞こえるが、神に対する敬虔な態度と、性に惹かれる本能の執着とは、当時の人たちをそうさせずにはおかなかったのであろう。
下野の国太平山神社の八朔祭
八月四日の夜は「お籠り」と称して参詣の男女が雑魚寝をなし風俗を乱すので、警察では取締りを厳しくしている。
信州諏訪郡の八幡社
毎月十四日の祭礼の夜に青年男女が「お籠り」と称して近郷近在から集まり、社殿に泊り込んで良縁を祈る。
大和の十津川
村内の妻子奴僕とも自他を選ばず、或は旅人にいたるまで、行きがかりに男女が寝所を同じくして交合する。
元来、人目を守る関もなく、これがために嫉妬の心もなく、古くから色欲のために身命を失う者なしと言われている。
『是等の乏しき資料から見るも、雑魚寝なるものが概して神社中心に行われたところより推して、その起源が共同婚による神判成婚の派生であることが首肯されるのである。』
これがために嫉妬の心もなく、古くから色欲のために身命を失う者なし
これがために嫉妬の心もなく、古くから色欲のために身命を失う者なし