私は36歳の時に妻を癌で亡くしました。 以来10年間、独り身でしたが再婚しました、後妻の妻には娘がいました、朋美9歳は小3で愛くるしい顔をしていました。 2年程、過ぎた頃に検診で妻に子宮癌が見つかりました、もう転移しており、半年の命と宣告されて 私は二度目の妻も失ったのです。 死期が近い事を知り、妻は病床で私を誓わせました。 「 あなた・・・娘の朋美を私の変わりに奥さんにしてやってお願いよ・・・・ 」 その時、私は48歳、朋美は小5で12歳になろうとしていました。 私は新生活をスタートする為、今まで住んでいた土地を離れて誰も知らない町に越したのです。 そして年の差36歳の新婚夫婦の生活を始めました。 朋美は妻の生前中に云い聞かされていたらしく、何の抵抗もせずに私の為すがままでした。 「 朋美・・今夜からはパパの奥さんになるんだよ・・分かるかい・・あなたと云ってごらん・・・」 「 はい、あ あなた・・・ 」 朋美は産まれたままの姿で私に抱かれて恥じらいを見せた。 膨らみかけた乳首を吸い、僅かに茂った股間を触りながら、私は朋美に云い聞かせた。 「 これからはゆっくりと奥さんになる練習をして行くから、頑張るんだぞ・・・ 」 「 はい、あなた・・・ 」 私は小学生の身体を開発してゆく興奮に寝られそうになかった。 朝になるとランドセルを背負い学校から帰ると性の手解きを受ける、朋美は一月も過ぎると挿入されずともアクメを感じる程になり、恥語までも吐き始めた。 「 あなたぁ・・・ィィィィ・・・もっとベロベロしてェェ・・・・・ 」 クンニしてやると際限なく、悶えまくるのだ、フエラはイマイチだが小さな口で涙交じりで頬張る顔は健気でいじらしい幼な妻である。 私がまだ処女膜を破らず挿入しないのは訳があった。 それは、朋美の生理が始まるのを待っていたからだった、何故と思うだろうが私のポリシーなのだ。女として開花した時に処女膜を破り、私の子供を孕ます事を希望していた。 人前では私の事をパパと呼び、家に帰ると大きく股を開き、おねだりする幼妻はクンニでは飽き足らずに私のチンポを入れて欲しいと催促するようになつた。 本来ならば、学業と運動に明け暮れる筈の12歳は父と肉欲交尾する事しか頭になくて授業中も 父の事を考えてはパンツを濡らすのだ、 父が留守の時には自分で指を入れてはオナニーを始める、長い間の手淫により、ポッカリ開いた膣穴に電動バイブを入れては快感に浸つていた。 そして朋美が13歳になろうとしていた頃、生理が始まったのだ。 私は待ちきれなかったが生理中は留まって排卵日を狙い撃ちにした。 朋美は待ち続けた私のチンポに喜びを隠しきれずに喘ぎ声を最大にした、 「 これが本物なのね・・・あなた・・堅くておおきいわァ・・・奥まで来てるヮ・・気持いいいいいいい 」時間が過ぎるのも忘れて私は朋美の奥へ精子を送り込んだ。 その効果はすぐに現れて次の月には生理が止まっていた。 朋美は13歳の冬に女の子を出産した・・・・・・・・・・