北島家と佐藤家が、将来の二人の結婚を望み、二人が体面的には
許婚者(いいなずけ)の関係にあるということを確認し合った翌日の
日曜日。
彩は午前11時頃に浩平の家に行き、浩平の母・美代子とともに昼食の
買物と料理をし、浩一と浩平を含めた4人で食卓を囲んだ。
彩は、すっかり佐藤家に解け込んでいた。
妙子は、浩平が東京に行き、彩が浩平の住むアパートを訪ねた折には、
浩平の喜ぶ食事を作ってあげられるように、時間の許す限り、美代子が
彩に佐藤家の家庭料理を教えてあげて欲しいと願い出ていた。
彩が買い物をし、その費用は彩に負担させるという申し出には、美代子
が、「とんでもありません。それはうちで揃えた食材を自由に使って
頂いて結構です」と固辞したが、妙子は、彩が自分で支払いをして買い
物をすることもまた、食材を選ぶ目と金銭感覚を養う勉強であり、
これから、彩が短大で学ぶ栄養学を実生活で生かしていくために必要な
ことだからと、浩平の両親を説得していた。
北島の家に昨夜戻ってきた彩に、妙子は、佐藤家と浩平にはなるべく
二人のことでお金を使わせるなと厳しく言い渡し、二人のために使い
なさいと数万円の小遣いを渡した。
昼食を終え、佐藤家で団欒の時間を過ごしながら、彩は、「本当に温かい、
素敵な家族だな」と、実感していた。
父・浩一の人柄は、昨日感じた通り、家族を大事にするだけではなく、
自分に接し支えてくれる全ての人に感謝して生きているような人だった。
母・美代子もまた、体の不自由な浩一に不都合がないか、常に眼を配って
立ち回っている。
二人ともよく笑い、彩が気兼ねしないように配慮し、優しく接してくれた。
彩は、余計な詮索かなと思いながらも、遠慮がちに浩一に尋ねた。
「お金を持逃げした人や、借金を容赦なく取り立てる人を恨まなかった
んですか?」
「恨んじゃいないよ。昨日、彩ちゃんのお母さんにも聞かれたけどね」
「あ、そうだったんですか・・・。何度も、ごめんなさい」
「アハハ、いいよいいいよ。別に聞かれて困ることじゃないから。
借金はね、どんな理由があっても返さなきゃいけないことでね。
私や私の一家が夜逃げでもして借金を踏み倒したら、困るのは好意で
お金を貸してくれた人だもの。
お金を貸してくれた人だって、それほど余裕があって貸してくれたわけ
じゃないんだよ。
お金を用立てて欲しい友人と、保証人になった私を信用して大事な
お金を預けてくれたわけだから、友人が逃げたら、私が返すしかない
でしょ。それが社会のルールでもあるわけだし」。
「でも、お給料を全部差し押さえなくても・・・。
おじさまも被害者なんですから、少しは配慮してくれてもいいように
思いますけど・・・」
「実はね、なかなか減らない借金が苦しくて、浩平がうちのやつのお腹に
できた時、私は、今勤めているところを辞めて、その退職金で少しでも
返済しようかと考えてね、貸してくれた人に相談したんだよね。
その人はね、そのときこう言ったよ」
それからの浩一の話は、昭和の時代の人情の機微をよく表していた。
浩一の相談を持ちかけられた貸主は、浩一の気持ちを「よく分かる」と
一旦は受け入れたが、「しかし」と言った。
今、会社を辞めて、退職金で少しでも埋め合わせようとしても、まだまだ
残る金額の方が圧倒的に多い。少しばかり元金が減ったところで、職を
失って、返済の当てはあるのか。もっと給料の多い、条件の良いところに
転職できる可能性は少ないのではないかと、疑問を呈し、励ました。
「確かに、あと5年、いや7年くらいは苦しいかも知れない。
でも、その先は必ず楽になる。
今の職場にとどまって、歯を食い縛って頑張れ」と。
更に、
「本当に苦しいときは、心中なんか考えるなよ。
そのときはまた、返済の仕方をどうするかを相談に来なさい」
と言って、二人目の子どもを授かったお祝いにと、いくらかの金を
浩一に握らせたという。
浩一は、しみじみと語った。
「本当に、その人の言う通りになった。
あそこで早まって退職していたら、我が家はどうなっていたか・・・。
やっと去年、全額返済できたとき、その人はね、自分のことのように
喜んでくれたんだよ。『本当に、よく頑張ったな』って。
恨んでいい理由なんて何もないんだよ」
「そうだったんですか・・・。
お金を持逃げした人はどうなんですか?」
「そりゃあ、その時は恨んだよ。
信頼していた友人に騙されたというのは、そりゃショックだった。
だけどね、そいつも、その後どこに行ってどうしているのか・・・。
けして楽な生き方はしていないだろうね。
自分の身分や過去を明かせず、怯えながら、隠れるように逃げ回って。
大金を返すのは大変なことだけど、あちこちを転々としていたら、
使い切ってしまうのは簡単なことでね。3年ももたないかも知れない。
あれから、20年以上も逃げ回っているわけだ。
何の保障もなく、生まれ育ったところにも戻れず、親や親戚や友達にも
会えず・・・。可哀想だよね」
「かわいそうですか・・・」
美代子が口を挟んだ。
「うちではね、人の悪口や恨みごとは話さないの。
親戚や近所のお友達なんかが集まったときに、誰かが人の悪口や
恨みごと、愚痴なんかを言い出すと、あなたの彼氏がいい顔をしない
のよ」
「『私の彼氏』が・・・ですか?」。
彩は「あなたの彼氏」と言う美代子の言い方に照れて、浩平の方を
はにかみながら振り返った。とても気恥ずかしく、でも嬉しかった。
「それは分かります。
浩ちゃんは、確かにそういうところがありますよね」
口を挟まずにやりとりを聞いていた浩平だったが、自分のことを
からかわれたような雰囲気になり、むっとしながら言い返した。
「本人がいないところで、その人のことを非難しても、何の解決にも
なりゃしない。
ましてや愚痴をこぼしたって何かが良くなるわけじゃないし」
「それが、浩ちゃんだもんね。
ま、そこが好きなんだけど・・・」
思わず言ってしまってから、彩は顔を赤らめた。
美代子が笑いながらフォローした。
「御馳走様。こんな子だけど、宜しくね」
こういう、佐藤家の家族のやり取りを聞いていて、彩は『意外だな』
と思った。
初めて彩や晴香と喫茶店で話したときや北島の家では、あれだけ饒舌
だった浩平が、あまり自ら進んでは会話に参加してこない。
ここの様子だけを見た人は、浩平を無口な男だと思うだろう。
美佐子に聞いてみた。
「おばさま、浩ちゃんは、お家ではあまり話さない方なんですか?」
「この子はね、家でも外でも普通に話す子だったのよ。
ただ、主人が怪我をして、親戚の集まる場に代理で参加するように
なってから、大人たちの中では、余計なことは話さなくなっちゃたの。
どうしても話をしなきゃいけない時以外はね」
浩平の父・浩一には、2人の兄と5人の姉がいた。
浩一は末子であったが、一番上の兄は戦死し、次兄は幼くして病死した
ため、浩一が佐藤の本家を継ぎ、美代子が嫁いできた。
浩平が生まれたとき、祖父は既に他界していたが、祖母は同居し、
浩平が中学生になる前に老衰で亡くなっている。
母・美代子は、経済苦に加えて、姑のいびりにも苦しんでいた。
ただし、両親が共稼ぎの家庭で、祖母は浩平を可愛がってはくれた。
中学校に入るまでは、浩平は、おばあちゃん子であった。
そして、母方の親戚関係も複雑だった。
母・美代子には、1人の兄と1人の弟、3人の妹がいた。
兄は、結婚後に2人の娘を持ったが、娘がまだ幼い時分に、妻が上の娘
だけを連れて失踪し、ほどなくして兄も女をつくって家を出た。
両親と姉が行方知れずになった兄の下の娘は、実家で祖父母に育て
られた。
美代子は、妹や弟に頼られ、やはり、親戚の中では種々の相談を受ける
立場にあった。
そういう家に育った浩一は、聞かなくてもいい両家の親戚のいざこざを
小さい頃から見聞きしてきた。
揉め事の多くは、妬みや愚痴や体面の類である。
そういった、親両家の親戚内の問題で、父・浩一の発言は重きを成して
いた。時には、浩一の出す結論に不承不承引き下がらざるを得ず、
鬱積したものを抱えている者もいる。
今の時代にのように、親類縁者の繋がりがドライではなく、血縁関係と
互いの干渉が濃密だったがために起きる騒動でもある。
本家であるがために、そういう大人たちに接する機会の多かった浩平に
とっては、それらの諸々が煩わしい以外のなにものでもなかった。
それでも、浩平を可愛がってくれる「おじ」や「おば」は勿論いるし、歳の
近い従兄弟も多く、仲も良かった。
そういう親戚縁者が集まる場で、浩平に向かって、自分の言い分に同意
を求める者もいるが、経験の裏打ちのない子どもの発言など、それが
どんなに正論だとしても、他人様をどうこう言うような人は、常識よりも感情
が先走る人たちだから、自分の言い分を否定されれば、浩平や我が家の
悪口に矛先が変わってきてしまうし、かと言って肯定すれば、いつの間
にか 『浩平がそう言っていた』と、話の出所がすり替わる場合もある。
そういう経験は、浩平が世の中は正論が通るとは限らないという現実を
思い知ることにもなり、余計なことは口にしないと言う知恵を得、ものごと
や人間関係を深く観察して、じっくりと考えて話をする性分を身につける
こやしにもなった。
「だけど、相手や状況しだいで、話さなきゃいけないときは、子どもらしくも
なく理屈っぽいし、くどい話が止まらなくなるでしょ?」
「はい、確かに」
彩は、うっかり口が滑ったと焦った。
「あ、いや・・・そんなことは、ないです」
「いいのよ、事実だから。
あのね、ここだけの話だけど、浩平の理屈っぽい話に閉口したら、
分かったふりをしておけば収まるわよ」
「何が、ここだけの話だって。
本人の前で、なんちゅうことを言うかな!?」
「だって、ねえ、彩ちゃん。
本人の前で言わなきゃ、誰かさんは怒るもの。ねえ!?」
「アハハ、そうですね。
でも、浩ちゃんが私や母が驚くほど真剣に、筋を通して話をするときは、
私のことを一番に考えてくれているからだって分かっていますから、
ちっとも嫌じゃありません。
それに、その話し方が偉いって母も感心していましたから」
「あらあ、それを『痘痕(あばた)も笑窪(えくぼ)』って
言うのかもよ。
浩平も、それだけ惚れられてて幸せだわねえ」
彩は、佐藤家で明かされる浩平の人柄のルーツというべきものを知るに
つけ、佐藤家のおかれた状況の中で、自分が経験したこともない苦労を
し、成長してきたのだなと理解した。
しかし、そういうことがもとでグレてしまう、道を踏み外してしまう子たちも
また、多いことも事実である。
運命と言うことなのか・・・そういった得体の知れないものに、あがなう
こともなく、かと言って流されるわけでもなく、しっかりと自分を見失わ
ずにいられる浩平を、そして、その浩平を理解し見守っている家族を尊敬
し、羨ましいと思った。
「さてと、私たちは父さんのリハビリも兼ねて、お散歩してくるから、
彩ちゃんは、浩平のこと宜しくね」
浩一と美代子が家を出た後、二人は浩平の部屋に移った。
午後1時を30分ほど回っていた。
午後3時には、彩の家に行かなければいけない。
浩平の部屋で、浩平の奏でるフォークギターを聞いていた彩が、浩平に
訊いた。
「浩ちゃんが好きな歌ってなに?」
「んっ、太田裕美の『木綿のハンカチーフ』」
イントロを弾き始めた。
「えっ、そ、それは・・・。
確かに、いい歌だけど。
私たちには、ちょっとどうかと・・・」
彩が歌うのを躊躇するのも無理はない。
田舎で付き合って来た恋人同士。
彼は、就職して都会へと向かう。
彼が都会に染まって自分から心が離れてしまう事をおそれる彼女。
そんなことはないと言っていた彼だったが、彼女の危惧が現実となり、
彼女のことを忘れていく彼。
悲しい現実を受け止める彼女。
そういう歌である。
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(1)恋人よ ぼくは旅立つ 東へと向かう 列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの 探す 探すつもりだ
いいえ あなた 私は欲しいものは ないのよ
ただ都会の絵の具に 染まらないで 帰って
染まらないで 帰って
(2)恋人よ 半年が過ぎ 逢えないが 泣かないでくれ
都会で流行の 指輪を送るよ 君に 君に似合うはずだ
いいえ 星のダイヤも 海に眠る 真珠も
きっと あなたのキスほど きらめくはずないもの
きらめくはずないもの
(3)恋人よ いまも素顔で くち紅も つけないままか
見間違うような スーツ着たぼくの 写真 写真を見てくれ
いいえ 草にねころぶ あなたが好きだったの
でも 木枯らしのビル街 からだに気をつけてね
からだに気をつけてね
(4)恋人よ 君を忘れて 変わってく ぼくを許して
毎日愉快に 過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない
あなた 最後のわがまま 贈りものをねだるわ
ねえ 涙拭く木綿の ハンカチーフください
ハンカチーフください
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浩平は彩の言葉を無視し、1番だけをひとりで歌った。
「だいじょうぶさ。俺はね!」
「うん・・・」
続けて弾いた曲は、井上陽水の『傘がない』だった。
この歌は、なかなか女の子が一緒に唱和できる歌ではない。
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都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
冷たい雨が 今日は心に浸みる
君の事以外は 考えられなくなる
それはいい事だろ?
テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ
冷たい雨が 僕の目の中に降る
君の事以外は 何も見えなくなる
それはいい事だろ?
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の家に行かなくちゃ 雨の中を
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
雨にぬれて行かなくちゃ 傘がない
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「彩との初めてのデートの日も雨だったな」
「そうね。
私が無理やり浩ちゃんの傘に入っちゃて、
浩ちゃんをズブ濡れにさせちゃったよね」」
「社会の状況がどうあろうと、彩に会いに行くことが
一番の大事か・・・。
現実は、厳しいことがいろいろあるだろうな。
今も、これからも」
「・・・」
「大事にするよ」
「ありがと・・・」
浩平はギターを置いて彩を引き寄せ、キスした。
暫く、濃厚なキスをし、浩平が彩の乳房を揉みだすと、彩は顔を離した。
「そう言えばね。
浩ちゃん、私、生理が始まっちゃたから、終わるまでできないの」
「そう、別にいいよ。
彩の体に触れているだけで、キスをしているだけでじゅうぶんだから」
「でも、やっぱりしたくなっちゃうでしょ?」
「我慢するさ」
「だからね、その間は口で・・・ね?」
彩は浩平のズボンのジッパーを下ろし、窮屈なトランクスの隙間から
浩平の半勃ちになっていたペニスを引き出すと、背をかがめて口を
つけた。
『木綿のハンカチーフ』を浩平が歌うのを聞いて、そうせずにはいられなく
なってしまったらしい。
浩平は、されるがままにしておいた。
すぐにマックスに怒張した浩平のものを、彩は愛おしそうに両手で包み、
口で吸い、舐めまわした。
「ジュブ・ジュブ」という音をたてながら、口と手指を激しく動かすと、
すぐに射精感が込み上げる。
大きく膨張と収縮を繰り返し、果てた。
彩は、口を離す時に溢れそうになった浩平の精を、右手で抑えながら、
ゆっくりと呑み込んでいき、萎えていく浩平のものから、最後の一滴まで
吸い出した。
「やっぱ、浩ちゃんの、彩が可愛がってあげると、
すごく元気になるね。
また、いっぱい出たね」
浩平の小さくなったものをしまいながら、嬉しそうに呟く。
彩の父に会いに行く時間が迫ってきていた。
彩はうがいをして部屋に戻り、浩平の衣服をコーディネートした後、
家を出る前に二人で歌った歌は、吉田拓郎の『結婚しようよ』だった。
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僕の髪が 肩までのびて 君と同じに なったら
約束通り 街の教会で 結婚しようよ ンンン
古いギターを ボロンとならそう 白いチャペルが 見えたら
仲間を呼んで 花をもらおう 結婚しようよ ンンン
もうすぐ春が ペンキを肩に お花畑の中を 散歩に来るよ
そしたら君は 窓を開けて えくぼを見せる 僕のために
僕は君を さらいに来るよ 結婚しようよ ンンン
雨があがって 雲の切れ間に お日さまさんが 見えたら
ひざっこぞうを たたいてみるよ 結婚しようよ ンンン
二人で買った 緑のシャツを 僕のお家の ベランダに
並べて干そう 結婚しようよ
僕の髪は もうすぐ肩まで 届くよ
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