08月23

ある夫婦の話

夫婦は昭和24年に結婚。時には無理難題を言い出す夫を妻は献身的に支えてきた。
夫が残業後に突然、会社の部下を自宅に連れてきたときも嫌な顔をせずもてなした。
夫が趣味の釣りに行く日は午前3時に弁当を用意し、熱いコーヒーをいれた。
夫も妻を愛し、しばしば2人で旅行に出かけたという。

夫は、平成3年に膀胱(ぼうこう)がんで手術をしたころから体調を崩しがちだった。
11年に頸椎(けいつい)の手術をして以降は介護を必要とする状態で、
22年12月には自宅で転倒したことにより完全な寝たきり状態となった。
妻は食事やおむつの交換など生活全般の世話をしていた。

昔気質(かたぎ)の夫は、あまり妻に対する感謝を口にすることはなかった。
体の自由が利かないいらだちからか、不満があると怒鳴り出すこともあった。

今年1月、夫は肺炎で入院した。
その時の検査で腎臓がんが見つかり、すでに末期で手術もできない状態だった。
妻と息子2人は対応を話し合い、妻は「病院をたらい回しにされたら、おじいちゃんがかわいそうや」
と思って自宅に引き取ることを決めた。
夫には、末期がんであることを知らせていなかった。

それからも、苛酷な介護の日々は続いた。昼夜を問わず、2時間ごとのおむつ交換。
妻1人で寝たきりの夫のおむつを交換し、足を持ち上げてズボンをはかせるなどの作業は、
1回で1時間ほどかかる。
ほとんど夜も眠れない生活で、妻は心身ともに極度の疲労を抱えるに至った。

 「おむつ交換は大変やから、他の人にはさせられへん。おじいちゃんも私にしてほしいと思っている」。
妻は周囲に助けを求めず、弱音を吐くこともなかった。
近くに住む長男夫婦は、平気な顔で介護にあたる様子を見て「おばあちゃんなら大丈夫」と思っていたという。

妻は最後まで「若い人には迷惑かけられへん。自分さえ我慢すればいい」との姿勢を崩さなかった。

2月28日未明。
この日も一晩中おむつ交換を繰り返しながら朝を迎えた妻は、寝不足でフラフラの状態だった。
午前6時ごろ、交換した直後に夫が排泄(はいせつ)したため妻が思わず「またかい」とつぶやいたところ、
気を悪くしたのか、夫はおむつを交換しやすいように足を曲げるなどの協力をせず、妻を困らせた。

妻の頭の中で何かが弾けた。

 「こんなに尽くしているのに、なぜ意地悪をするのか」
「夫を残して私が先に死んだら、息子たちが苦労する」…。
さまざまな思いが駆け巡り、とっさに台所へ走って包丁(刃渡り約18センチ)を手にした。

寝室に戻った妻は、目を閉じてベッドに横たわる夫の腹に、右手で握った包丁を突き刺した。

 「なにすんねん」。
目を開いて驚く夫に、妻は「あんただけ先には行かせへんで。私もすぐに行くよ」と語りかけた。
すると、夫は抵抗せず、「お茶ちょうだい」といった。

妻が慌てて2、3口を飲ませると、夫は「もういい」と言って目を閉じた。
それが最後の言葉だった。

大量の出血を見てわれに返った妻は「助けたい」と思って119番し、長男夫婦にも連絡。
「自分も死にたい」という気持ちがあったが、誰か来たときに汚れたおむつがあるといけないと思って片づけ、
保険証などをかばんに入れて病院に行く準備をした。

ほどなく、救急や警察、長男夫婦が相次いで駆けつけた。
夫は心肺停止状態で病院に運ばれ、妻はその場で現行犯逮捕された。

9月4日から開かれた公判で証言台に立った長男夫婦は
「もう少し父母の気持ちが分かっていれば、こんなことにならなかった。後悔しています」と涙ながらに陳述した。
「おじいちゃんは恨んでいない。これからはみんなでおばあちゃんを支えます」として、寛大な判決を求めた。

すでに保釈されていた妻は、弁護人の隣に座って微動だにせずやりとりを聞いていた。
5日に行われた被告人質問では、
「辛抱できなかった自分が悪い。とんでもないことをして、おじいちゃんに申し訳ないと思っています」と謝罪。
「今は心にぽっかり穴が開いたようで…。おじいちゃんと一緒に暮らしていたころが一番よかった」と述べた。

判決は「殺人罪の中でも特に軽い刑に処するべき類型に当たる」として執行猶予をつけた。
量刑理由では次のように言及している。

「我慢が限界に達してとっさに殺意を抱いたものであり、犯行に至る経緯には同情でき、心情も理解できる。
夫は刺された後に何ら抵抗していないことなどから、妻を強く恨んでいたとは認められない」

裁判長は言い渡しを終えた後、妻に向かって
「これからの余生、ご主人の霊を弔って、家族のためにも、十分あなたの人生を生きてください」と説諭した。
閉廷後の法廷では、家族が嗚咽(おえつ)する声だけがいつまでも響き渡っていた。
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