赤松民俗学のことも考えると、日本で女性全体に処女性が求められるようになったのは、日本史の中でも極最近のことである。
赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫、116頁
私のオヤジなどは、夜になると隣近所のムラから娘や女たちが二、三人連れで現われ、家の廻りをウタいながら誘い出しにきたそうで、祖母が聞かせてくれたのだからタシカなもんだ。
夜這いは男が行くだけでなく、女の方からも通ってきたのである。
俺は百人斬りがすんだという若衆がおり、「なんや、そんなもん、うちら十七で男の百人抜きぐらいしたぜえ」と、おばはんに叱られていた。
「へえ、俺で、なん人抜きや」「お前か、千人めぐらいやろ」と脅かされる。
私の在所では若衆が女の百人斬り、女が男の百人抜きを基準にしていた。
千人になると盛大に祝宴を開いて、「千人供養」をしたそうである。
ほんまかいな、と疑ったら、いろいろと事例を教えてくれた。