高3の夏休みに入ってから病気で入院した時の話。週3~5のペースで彼女(由依)が見舞いに来ていた。Yシャツがはち切れんばかりのパツパツ感の巨乳でGカップ。太もも全開のミニスカで常に色ブラ・紐パンティー(白以外)だった。中3の妹(早紀)は週5のペースで見舞いに来ていた。セーラー服にDカップの巨乳。部活を引退しているのでミニスカ。白以外のブラ・パンティー。私の部屋は6人部屋でみんな70歳~80歳の老人たち。3つ隣の部屋に兄貴的な存在の樹さんが言っていたが「彼女と妹を食われないように気をつけろ」何のことか聞いてみたら「あの老人たちは若い看護師を食べまくっている。見た目は老人でも性欲の塊でチンコは30cmの極太カチカチのチンコを持っている。絶倫が2人。早漏は3人。特にお前の向かいの男とその隣の男は高速ピストンマシンの噂がある。お前の隣の男は舐めるのが好き。ちなみに院長はグルだからな。」と忠告があった。
老人4人がいない日があった。病院が企画した散歩に参加したからだ。私の隣の舐め男はいた。妹にトイレに行くことを伝えて部屋を出た。しばらくして戻ってくると妹の姿はなく舐め男のカーテンが閉まっていた。舐め男のベッドから声がした。
舐め男「いいね。早紀ちゃん。ピンクマンコだ。いただきます。」
ジュルジュルと舐める音が部屋に充満する。早くも妹がイキそうになり、
早紀「あー。イクイク。あっ、そこ、ダメ。イクッ。」
妹はイッてしまったが舐め男は舐めるのやめない。
舐め男「早紀ちゃんのイキ汁おいしいよ。もっと気持ちよくなっていいよ。もっと飲みたいな。」
早紀「あっ。イクイク。イク。あ~。またイキそう。あっ、イクイク。あ~。あっ。」
もう一度部屋を出て再び戻ってくると舐め男のカーテンは開いていて、妹も私のベッドの横にいた。
散歩組はまだ戻ってこない。妹は17時頃に帰って行った。18時に散歩組が帰ってきた。消灯前にトイレに行っている時に彼女が部屋に来たらく戻ってきたら舐め男にマンコを舐められていた。しかもブラ・パンティーは剥ぎ取られて絶倫男の性処理道具されてた。舐め男が気が済んだ頃に戻ってきたら慌ててYシャツを直していたので「大丈夫」と聞いたら「大丈夫」と答えた。その後15分ぐらいいたら消灯になったので彼女は帰って行った。
数日後舐め男は退院し、早漏の1人が亡くなった。6人部屋が4人なった。妹と彼女が同時にいた日に絶倫老人Aが
絶倫老人A「ベッド空いているし泊まっていったら。」
と言っていた。たまたま院長先生がいてOKを出していた。3日後に泊まり込みになった。
3日後、15時にセーラー服・ミニスカで登場は妹。18時に一緒に夕食を食べた。19時過ぎに私は寝てしまった。
気づいた時にはカーテンが閉まっていて、手足首には拘束具がそして口には口轡を装着されて身動きが取れない状態に。
カーテンの向こう側から彼女の声がして
由依「あれ、寝ちゃいました?」
絶倫老人A「寝ちゃったよ。とりあえず荷物そっちに置いてから、はいこれお茶ね。」
由依「ありがとうございます。起こさないほうがいいですね。」
しばらくしたら由依の声が聞こえなくなった。そういえば早紀の声は目が覚めてから聞いていない。
絶倫老人A「由依ちゃん寝たか?おーい。寝てる?寝たね。手伝えベッドに上にあげるぞ。よいしょ。今日のパンティーは青の紐パンティー。そっち引っ張れ。1・2・3。ちょっと靴下脱がしておけ。ブラは何色かな。おー。青だね。ブラウスそのへん置いておいて。ブラも取っちゃうか。よし。ピンクマンコにピンクの乳首。いいね。俺由依ちゃんを貰おうかな、お前早紀ちゃんね。早漏2人組が帰ってくる前にやっちまうか。」
絶倫老人Bが私のベッドのカーテンを開けた。すると向かい側の絶倫老人Aが全裸でチンコに赤いクリームを塗るとチンコが超勃起した。同じく絶倫老人Bも超勃起させていた。ベッドの上で中腰バックで生挿入。絶倫老人Aが由依、絶倫老人Bが早紀。高速ピストンで上下に揺れ始めた。同時に2人が可愛い喘ぎ声を出し始めた。揺れるマシュマロ乳の由依と揺れるロケット乳の早紀。そして早漏老人が戻ってくるとすぐに全裸になりチンコを口の中に入れて3Pを始めた。完全に強制イマラチオ状態だったので早漏老人は口内射精数回。射精の度に精子を飲ませていた。早漏老人はチンコが勃たなくなってしまいかつ疲れて寝てしまった。絶倫老人の見せつけレイプは続き、由依と早紀はイッてもイッてもピストンが続く状態。そしてピストン1000回以上で中出し。濃厚精子をたっぷりと中出しするとそのまま抜かずのベッドインした。その後も喘ぎ声が止まらない2人。3回中出し後に終了し解放された。朝になってやっと拘束が解かれたが由依は早漏老人に廻されていた。早紀は絶倫老人に2つ穴同時SEXでアナル開発されていた。SEXが終了すると服を着させてベッドに寝かせて老人は週1の散歩企画に出かけて行った。10時ごろ起きた2人は帰って行った。
その後数日ののちに私は退院した。