06月22

追悼・カンニング中島さん

俺が東京に来て中野に住んだのが2000年の春。
CTNという地元ケーブルテレビが見れ、
そこでビタミン寄席というお笑い番組が放送されていた

まだ売れる前のダンディ坂野、さくらんぼブービー、どーよ、エルシャラ、
ケルンファロット、黒田大創、ヒロシ、じゅんご、三拍子なんかが出演していた。
その中にブレイク前のカンニングもいた。

その当時客を沸かせる事においてはカンニングが飛びぬけていた。
竹山の切れ芸に圧倒され初めの不快感が快感へと変わりやがて中毒となるのだが、
俺が見ていてもっと気になったのは中島だった。
他の芸人はボケも突っ込みも売れたいという必死さが見栄見栄なのに、
中島はただ暴走する竹山の暴走を嗜め、竹山のつばが飛べば苦笑いでお客さんに詫び、
竹山が「おまえらクリスマスになんでこんなとこ来よんね。ルミネ行けルミネ!面白い芸人いっぱい居るぞ」などと暴言を吐くと、
「来てくださっとるんや、そういうこと言うな!」と声を荒げるのである。
その間の取り方、緩急も堂に入っていて二人の信頼関係が見て取れた。
竹山の暴走も、中島の手綱があってこそ安心して見られる「芸」になっていたと思う。

中島はブロードウェイの総菜屋「わしや」でバイトをしていて主任になっていた。
俺はある日そこを尋ねた。
真剣な眼差しで立ち働いていた中島は奥から出てきて、
「ビタミン見てくれてるんですか。有難うございます」
「鶏、昨日僕いっぱい仕込みましたんで見てくれてる人にはおまけします」
とチキンを安く売ってくれた。
後で分かったことだがそれは中島が自腹を切っていたものだった。
「今度カンニングの始めての単独ライブやるんです。良かったら見に来てください」
芸に、バイトに全力投球する中島の希望に溢れた眼を、俺は今思い出さずにはいられない。

一番初め、彼らの芸風は大嫌いだった。どうせすぐ終わるだろうと思った。
でも、たまたま見た番組で竹山の一面をとある芸能人が言っていた。
実は優しい人と。その場にいた竹山は照れを隠してキレ芸を潰すなとキレていた。
あ?こいついい奴なんだなぁって思ったよ。

そんな竹山は漫才とは別のところで話すとき、いつも相方を大切にしてる発言をしていた。
料理が本当にうまい、本当にいいやつだ、
そしてオチとして最後に漫才は下手だけどと付け足す・・・。

そんな中島が病に伏してすぐ竹山が治療費をギャラから負担しているという話や中島の状態を慮り結婚を見送っているといった話が流れた。
当時の竹山は芸が成り立たなくなるから隠していたが、でもピンとなっても本当に精力的にテレビにでていた。
せっかく売れる環境が整った所での相方の休養に、しっかりと帰ってこれる場所を作って…。

そんな竹山を見ていると、相変わらず面白くないと思っていたが頑張れっていつもエールを送っていた。
そして、このニュース・・・・・・。

別に世界にはもっと理不尽に命奪われている人がいると思う。
でもだからこれで感傷に浸るのは偽善かなのかなぁ?

俺は偽善でもなんでもやっぱり悲しいよ。
こういう二人の優しい思いを知ってるだけに悲しい。
でも中島さん、どうか安らかに、本当に闘病お疲れ様。
また、竹山さん、少しでも笑いの才能が育まれたならそれはそれでいいのだろうけど、
でもテレビに出ることが多分見てる人をあったかくしてくれるよ。
笑いにつながらなくても、芸人って人を喜ばせる、あったかくさせる職業だと思うから。
だから頑張って。。

と思いながら見守っていきたいなって思った

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