昔話です。
当時私が通っていた小学校では、夏休み期間中、地域住民にプールを開放する日がありました。
その小学校は、かつて敷地内に幼稚園もあった関係で、25メートルプールの他に、幼児用の水深の浅いプールもあって、開放日になると、それを目当てにやって来る、若い親子連れが割といました。
ただし開放日は平日なので、会社勤めの男親の利用は難しく、実際には小学生の他には、小さい子供とそのママさんしかいませんでした。
ある日、私がプールに行く途中、近所のおばさん親子とバッタリ出会いました。
おばさんと言っても、当時は結婚年齢も出産も早かったので、まだ20代後半位。
今から学校のプールに行くとのことで、目的地が同じと分かった私たちは、一緒に行くことになりました。
おばさんは結婚してこの地に来たので、小学校に行くのはその日が初めてだったそうです。
校門をくぐると、私たちは「男子用」「女子用」に分けられた着替え場所の教室に入りました。
親子が女の子とお母さんの場合は勿論女子用を使いますが、男の子とお母さんのペアだと、たまに男子用を使う人がおり、そのあたりは各自の判断に任せていたので、私たちも3人一緒に男子用の教室に入りました。
男子用と言っても、室内には小学生以下の子供しかいないので、大人の女性も気後れしなかったのでしょう。
当時5年だった私は、服を脱いでパンツ一丁になると、いつもと同じく腰にバスタオルを巻いて、海パンに着替える態勢に入りました。
それを見たおばさんが驚いた様子で尋ねました。
「トシ君、学校ではいつもそういう風にして着替えるの?」
小学校高学年にもなると、もうそれが当然だったのですが、おばさんは事情を知らなかったみたいです。
後で聞くと、おばさんの時代はまだ学校にプールがなかったのだそうです。
教室内を見回して事情を理解したおばさんは、慌ててパンツの上にバスタオルを巻いて、下半身を隠しました。
私は、そんなおばさんの姿にエロを感じました。
多分おばさんは、私の着替え方を参考にしようとしたのでしょう。
今度はチラチラと私の下半身に視線を投げ掛けてきました。
男子小学生相手に、今更着替え方を教えてとは尋ね難かったのでしょうが、女性心理で言葉に出すのは恥ずかしくても、私に向けての眼差しまでは隠そうとしないので、その時急におばさんを女として意識しました。
こっちもタオルの中がノーパンだったし緊張しましたが、巻きタオルに慣れていないおばさんの腰のバスタオルが、案の定、着替え中に剥がれそうになりました。
おばさんが慌てて剥がれそうになったタオルを押さえるのを見た瞬間、エロが最高値に達しました。
おばさんのタオルは、手で押さえてる股間を残して、あとは床に向けて垂れ下がっていましたが、さすがに陰毛に当たる部分だけはしっかりガードしていました。
当時は今と違って、女性の陰毛は成人向けの雑誌においてさえ黒く塗りつぶされていた時代で、今よりも陰毛の神秘性が高い時代だったと思います。
しかし当時の子供でも、大人の股間には黒い毛が生えているぐらいの知識はありました。
正直に白状すると、その時の私は、おばさんの陰毛が見えるのを大いに期待しましたが、おばさんもタオルを直したので、結局未遂に終わりました。
ところが、ここで意外な展開を迎えます。
腰にタオルを巻き直したおばさんが、私にお願いをしてきたのです。
「悪いけどトシ君、今から水着に着替えるから、それまでの間、タオルを持ったまま広げてくれるかな?」
おばさんの陰毛が見たかった私は、勿論快諾しました。
内心では嬉しくてたまりませんでしたが、おばさんに悟られないよう、子供なりに懸命に表面上は冷静を装いました。
おばさんは腰に巻いたバスタオルを広げると、私に渡しました。
絶妙のタイミングでくるりと後ろ向きになったので、残念ながら陰毛は見えませんでしたが、それと引き換えにおばさんのお尻が丸見えになりました。
今思い返すと、女性としてはごく平均的なサイズだったと思いますが、当時の子供目線だと、雄大でふくよかな肉付きの、立派な大人のお尻でした。
背中向きで視線が合わないのを良いことに、私はかぶりつきの特等席で、少々サイズの合わなくなった水着を一生懸命引っ張ってお尻まで上げる動作込みで、おばさんの揺れるお尻を堪能しました。
腰まで水着を着ると、おばさんは「持っててくれてありがとう」とねぎらいの言葉を掛けて、私が広げていたタオルを取りました。
こちらこそ「立派でエロいお尻を僕に見せてくれてありがとう」の心境でしたが、勿論おばさん相手にそんな返しが出来るはずもなく、表向きはちょこんと頭を下げたと記憶します。
プール開放は時間制で、終了時間が迫った頃、おばさんの息子さんが突然、堰を切ったように泣き始め、そのまま止まらなくなりました。
小さな子供だし、初めのうちは時間が経てば自然と収まるだろうと楽観していたのですが、どうも止みそうにありません。
やがて時間終了で3人は更衣用の教室に一度は戻ったのですが、ここでおばさんが私に質問してきました。
「ねえトシ君、学校内でひと気のない場所知ってるでしょ?息子が泣き止まないから他の人に迷惑だし、ちょっとそっちに行かない?」
周囲に迷惑を掛けるからというおばさんの思いを汲んだ私は、校舎3階の階段裏におばさん親子を案内しました。
ここは自分が知る限り、校内で最も人目に付きにくい所で、たまに秘密基地ごっこをしていた場所でした。
階段裏のスペースに腰を下ろすとおばさんは、いきなり水着の上半身を脱いで、私の目の前で豊満なおっぱいを丸出しにしました。
そして、その場でいきなり息子さんにおっぱいを吸わせ始めたのです。
すると、あれだけ五月蠅く泣いていた息子さんがバッタリ泣き止んで、ゴクゴク美味しそうにお乳を飲むのに集中しているのが分かりました。
「実はコウ君(息子さん)、おっぱいが欲しくて泣いてたのよ。おばさんは親だからすぐ分かるの。トシ君、巻き添えにしちゃってごめんね。」
申し訳なさそうに謝られましたが、こちらとしては謝られるどころか、おばさんのおっぱいも間近で見れるわで最高の環境でした。
更に嬉しかったのは、私に授乳を見られてるはずのおばさんが、全く嫌がるそぶりを見せないことでした。
それどころか、むしろ好んで息子さんがおっぱいを吸うのを私に伝えようとしている様子にさえ思えました。
私が物心つく前は、電車の中でもお母さんが平気で授乳してたそうですが、さすがに私の時代になると、車内でそんな光景に出くわすことはなくなりました。
しかし、面識のある人間しかいない空間では、まだ授乳できる環境は残っていたみたいで、おばさんの世代がその最後だったのかも知れません。
美味しそうにおっぱいを飲んでいた息子さんは満足したのか、そのまま寝てしまいました。
すると、おばさんは「ここにはトシ君しかいないし、タオルを巻いて着替えるのは面倒だからもう脱いじゃおっと!トシ君いいでしょ?」と、わざわざ私に向かって宣言した後、サイズの合わない水着を力一杯引きずり下ろして、一糸纏わぬ姿を披露しました。
その瞬間、遂に私の目の前で、おばさんの陰毛が露わとなりました。
それは、お手入れとはまるで無縁の、自然に任せた豪快なジャングルでしたが、おばさんに限らず、当時の日本の女性はこんなものだったのでしょう。
おばさんが私を信じて裸になってくれた、そんな気持ちが直に伝わってきて嬉しかったものの、思春期の私のほうはやっぱり恥ずかしくて、いつも通り腰にバスタオルを巻く態勢に入った時でした。
「トシ君、あんた男でしょ!おチンチン付いてるんでしょ!ここにはおばさんしかいないんだから、男らしくトシ君も脱ぎなさいってば!」
おばさんに強い調子でそう言われた私は、自分だけが隠すのも何だか悪いなと思ったので、ここはおばさんの言う通り、潔く全裸になりました。
「トシ君、5年生なのにおチンチン大きいね!クラスのお友達もみんなトシ君と同じくらい大きいのかな?」
私をまんまと脱がせるのに成功したおばさんは、私のチンコを興味本位で眺めながら、いきなりこんな話をしてきました。
「プールの着替えの時はみんなタオル巻くから、よく分からないよ」
正直にこう答えましたが、おばさんは食い付いてきました。
「5年だったら林間学校でみんな一緒にお風呂入ったでしょ?その時お友達のも見てるはずだよね?」
一度も学校に行ったことがないおばさんが、一体どこでそんな情報を仕入れたのか謎でしたが、記憶をもとに答えました。
「たぶん真ん中ぐらいかなあ」
「えっ!トシ君でも真ん中ぐらいなの?今の男の子ってみんな大きいんだね?」
詳しいことはもう忘れましたが、おばさんは更に2、3つはチンコの質問を私に振ってきたと思います。
その時はチンコのことを根掘り葉掘り聞かれるのが苦痛でしたが、やがて私の中では貴重な思い出として美化され、あの時のおばさんとのエピソードを思い出しては自慰に励んだものです。
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