4泊5日の旅行でしたが、峡谷での露出を経験した妻には
着実な変化が訪れていました。
第1に、自ら、積極的にセックスを求めるようになりました。
それまでも、セックスは好きでしたが、
自ら積極的に衣服を脱ぐ様なことはしませんでした。
妻は、セックスの快感無しでは生きていけなくなった様です。
峡谷に行った日の夜から、妻は毎夜過酷なまでのアクメを求め、
朝起きた時にもアクメを求めるようになったのでした。
第2に、露出と羞恥というものを意識し、
責めの一つとして受け入れるようになったのです。
夜、試しにホテルのカーテンを開け、窓に裸体を押し付けるようにして
抱きしめながらクリ責めをしてやったところ、
激しく愛液をしたたれさせたのでした。
(ただ、室内の照明は消していましたから、外からは何も見えなかったでしょう)。
露出と羞恥を覚えてから、妻はマゾ気も強めました。
露出といっても、実際に他人へ妻の裸体を見せる事には抵抗がありましたから、
私以外の忠実な目である「ビデオ」を利用しました。
(当時は、デジカメがありませんでした)。
全てを写し取ってしまう無慈悲なビデオカメラのレンズは、
羞恥責めに弱い女性の官能を何時まで経っても、
何度でも、激しく刺激してしまうようです。
オモチャの味も覚え込んでいきました。
初めは小さなローターでしたが、
最後には二股パールローターの太さに戸惑いながらも、
下の口で根元までしっかりとくわえ込み、
ローター部分で自らのクリ豆を擦り上げながら、
激しくイクようになっていったのでした。
強烈な羞恥に興奮しながら、妻はオナニーショーを実演できる女へ
と変わっていきました。
そんな妻との交際期間が終わり、めでたく婚約、結婚した私達でした。
妻も私も、御互いの身体から離れられなくなっていたのかもしれません。
身体の相性が良い相手と結婚できた私達は幸せ者だったのでしょう。
結婚してからは、妻の出産や育児が重なり、性生活も中だるみ状態でしたが、
生まれてきた娘のために新調したビデオカメラがデジカメ機能を有していた事もあり、
出産後のボディーラインを気にする妻を説得しながら、
淫らな姿を撮影していったのでした。
また、レンタル現像所も出現し、
一眼レフを使っても、人知れず現像できるようになりました。
少しづつ、妻の裸体画像コレクションは増えていきました。
私達の夫婦は、4歳になる私の娘と同じ幼稚園に通う
Tちゃんの両親である青木さん御夫妻(仮名)と親しくなっていました。
青木さんの一家と私の一家は、同じマンションに暮らしていたこともあり、
週末の夜にはホームパーティーを交互に催して招待し合うようになりました。
パーティーに子供たちが疲れてしまうと、
子供というものは面白いもので「パタッ」という感じで眠ってしまいます。
そんな子供たちを、パーティーを開催した側の家に寝かしつけたまま
明朝まで子供を預けるようにもなりました。
それは、子供たちの社交性を増すのが一番の目的でしたが、
二番目の目的としては青木さんの奥さんである
「マキ」さん(仮名)が、
ある意味で私のタイプの女性であったこともあります。
私の妻は、どちらかというと豊満な肉付きのタイプですが、
私は、スラリとした女性にも捨て難い魅力を感じています。
妻は、お尻の肉も豊かで(サイズ95センチ)、
プルンプルンとしています(将来、肥満しないかと心配しています)。
それに対して、マキさんは、スラッとしたタイプの女性です。
豊満な女性に母性と魅力を感じる私ですが、
好きな食べ物でも、何時も同じでは飽きてしまうというのが心情です。
(これって、ワガママじゃないですよね、、、、、、)。
しかし、それはあくまでも単なる漠然とした思いであり、
まして、マキさんと何らかの関係を持とうなどとは思ってもみませんでした。
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