01月28

海女のふんどし

      
 現在は、廃れてしまったが、かつて海女(あま)の労働着であった能登半島の先端に位置する舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれるふんどしの資料を入手した。
       
 現在、女ふんどしが売り出されて話題を呼んでいるが、昔は、海女(あま)の労働着として、腰巻きと共にふんどしが使われていた。
       
 日本のあちこちでその例が見られるが、能登半島の先端にある舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれる海女ふんどしは、その代表例である。
       
 漁法が未発達だった時代の海女は「赤い湯巻き(腰巻き)」のみだったのが、明治大正に真珠取りで世界的に海女が知られるようになり、「赤い腰巻きに上半身裸というのは蛮風で恥ずかしい」となって、変わっていった。
       
 ただこの「蛮風で恥ずかしい」は海女達自身から出た羞耻心ではなくて、「帝国日本が野蛮な後進国と思われたくない」という先取先進な世論(新聞など)によるものだとかで。
       
 海女の腰巻きが赤かったのは、海底で目立つから(船底が赤いのと同じ)で、鮫などを近づけないという俗信なんかもあったとか。
       
 白い帷子で全身を覆い、水中眼鏡などを付けるようになったのはそうした海女自身以外からの「恥ずかしい格好を世界に晒すな!」という批判に沿う形での変化だったらすい。
       
 裸の素潜りで魚介を採る海女の姿はやっぱり見世物にされてた時期もあるんだけど、見世物に身を窶さなくても海女は稼ぎが良かったとかで、「貧民だから裸身だった」ということとはまったく関係ないし、裸でいることを強いられて炊いた賎民ということでもなかったらしい。
       
       
       
【ふんどし海女動画】
       

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