西表島に行った時、観光ガイドが言ってた。
「この島ではいまだに夜這いの風習が残っています」
これってホントかいな?
筑波山にハイキングに行ったです。
普通にハイキングの目的で。
そしたら山頂の男体・女体神社の縁起(由来が書いてある。誰でも読める)に「この山は昔は・・・」とそのようなことが書いていてちょっとビクーリ&ひきました。
関東地方だと「櫂(女偏に櫂)歌」という風習があったそうです。
[筑波山 かがいの地]
かがいの場は男体、女体のわかれる筑波山の中股にあった。
当時の祭礼には後世の常識 では判断にこまる奇怪な行事がある。
筑波明神の祭礼にもそれがあった。かがいである。
男女が集って歌を唱和しながら乱舞し、情の激するにしたがって手をたずさえて陰所に行き愛撫し合った。
古代人にとってはあらゆることに優位する宗教上の厳粛な行事で、こうすることによって神を慰め楽しませていると信じたのだ。
それは巨きな木がうっそうと茂り、長い枝を月光の中に墨絵の竜のように四方にのばした所であった。
海音寺潮五郎作「平将門」より(以上原文のままです)
現代でも筑波山神社は縁結び・夫婦和合の社として崇められていますが・・・
夜這いは重労働?
万葉集に
「他国(ひとくに)に結婚(よばひ)に行きて太刀(たち)が緒もいまだ解かねばさ夜そ明けにける」
という歌がある。遠い部落まで女に逢(あ)いに行ったので、太刀の緒も解かぬうちに夜が明け
てしまった、というのである。
能登地方では、男が女の両親の許可を得て公然と通っていたらしい。
専用の入口をヨバイグチと称したとの事。
飛騨(ひだ)地方では、夜這い帰りの若者に道で出会うと、「ゴクロウサン」とあいさつしたという。
やはり重労働だったのである。
もっとも、丹波地方のように女のほうから夜這いに出かけるというところもあって、「丹波ヨイトコ女のヨバイ」なる唄がのこっている。