東京の深川地域内の片隅に
豊洲という名の街がある、、、
昭和初期、この”埋立地”に町名がつけられる際、
将来の発展を願い、豊かな土地になるように「豊洲」としたそうだ。
豊洲、、、
私達に夢を、、、
希望を与え
そして、、、
全てを奪い去った
決して忘れることのできない私の第2の故郷となるはずだった街。
逡巡する私の脳裏に、幼子の笑顔が浮かぶ。
屈託のない無邪気な笑顔。
挫けそうな心が僅かに奮い立つ。
私は溢れそうな涙を拭ってから
強張っていた全身に力を入れていった。
途端に私を取り囲む男達の喉仏が一斉に動く。
人数が多いだけに生唾を飲みこむ音までが露骨に聞こえてくる。
下卑た笑みを浮かべた男達の顔はどれもよく見知った顔だ。
いつも誠実な紳士の顔をした男も居れば
子煩悩で評判な男も居る
家族ぐるみの付き合いで
ことあるごとに一緒に食事を囲んでいた男まで居た。
そんな男達の浮かべる表情の浅ましさは
目を覆いたくなるほどである。
ああ嫌っ。
男達が強いた格好は苛烈すぎるものだった。
そんな晒しものにされた身体の上を
男達の手がいやらしく這いまわる。
長年コンプレックスだった乳房を品評されながら
撫で回される屈辱に気が変になりそうだった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
なぜ豊洲への市場移転は延期されたのか。
政治家の利権絡みか、ただの人気取りだったのかもしれない。
いずれにしろ、ただ不安を煽り、人を不幸にしただけだ。
水たまりの水なんて、都内のどこだって綺麗なはずがない。
そもそも水たまりの水は飲まれることもないし、料理に使われたりすることもない。
考えても考えても分からない。
次第に意識が遠のいてくる。
全開に広げられた股間に異物が挿入され、
私は元々反らせていた身体を、更にのけ反らせた。
男達の唾液の絡んだくぐもった歓声が耳元で聞こえるはずなのに
何故だか、遠くの方から聞こえてくる。
同時に女の嬌声までが聞こえてくる。
それが自分の声だと気付く前に
男達の与える刺激が私の思考力を完全に掻き消した。
どうしてこんなことになってしまったのか。
私は慶應義塾大学を卒業した後、新卒で人材関連最大手のリ●ルートへ入社した。
そこで知り合ったのが二つ年上の達也だった。
達也は仕事がバリバリできるというタイプではなかったが
人懐っこい笑顔と、江戸っ子特有のきっぷの良さで女性にはとても人気があった。
しかし、私は、江戸っ子気質の悪い面というか、
思い込みが激しく、見栄っ張りな部分がなんとなく好きになれず、どちらかというと
達也とは一線を引いていた。
会社の社風が体育会系のノリであったせいか
私が入社した当時はまだパワハラ、セクハラなどが水面下で横行している時代だった。
ある朝、出社すると突然上司が怖そうな表情で私の席まで歩いてきた。
顧客からクレームが入ったというのだ。
まだ2年目の社員だった。けして大きな仕事を与えられていたわけではない。
それでもイベントのお手伝いなどに誠心誠意取り組んでいた。
しかし、
上司は皆に聞こえるところで私を叱りつけた。
「顧客とうまくコミュニケーションが取れないらしいな。
顔が良いだけで採用された女は本当に使えねえな」
言われた瞬間、向かいに座る新卒の男の子と目が合った。
私が教育を担当している男の子だった。
恥ずかしくて、私はすぐに下を向いた。
恐らく赤面症の私は真っ赤な顔をしていたことだろう。
泣きそうになりながら、只管堪えていると
「ちょっと待ってください。なんですかその言いようは」
「え?」
声の方を向くと達也が立ち上がって上司を睨みつけていた。
「〇〇社の高野部長のことでしたら、しつこく栞さんに言い寄ってましたよ。
振られた腹いせにクレームとか、まともに取り合ってどうするんですか!」
そう。
クレームを入れてきた高野部長には、何度か食事に誘われていた。
同じチームの人なら、みんな知っていることだった。
それでも、皆の前で上司に歯向かって私を庇ってくれたのは、
それほど親しくもない達也だけだ。
この一件から、私は達也を見る目が変わり、彼から交際を申し込まれると、
待ってましたとばかりに、達也を受け入れた。
しかし、いざ結婚の話になると、
私立中学で校長を務める父が猛反対した。
大正創業の古い水産仲卸業を営む達也の父が病床にあることが大きな理由だった。
「魚屋になるつもりか!」
「結婚は絶対に許さん!」
顔を見る度に父は反対した。
それでも、私はどうしても達也と結婚したくて
駆け落ち同然で達也と結婚した。
結婚後、
義父が長くないと分かると夫は会社を辞め、家業を継ぐことになった。
私は既に会社を辞め、専業で一人息子を育てていたので
水産仲卸業を手伝うことに何の不満もなかった。
むしろ専務などという肩書まで与えられ
豊洲市場への移転という一大イベントを控えて、
遣り甲斐まで感じていた。
一人息子の母として、
水産仲卸業者の妻として、
そして会社の専務として、忙しくも、とても充実した幸せな日々だった。。
そんなある日
夫から豊洲商店街の会長である清水という男を紹介された。
先代からの古い付き合いで、豊洲・勝鬨あたりの顔役のような方だということだった。
名刺交換もそこそこに、清水は大勢の前で特徴のあるだみ声を張り上げた。
「いやあ、噂には聞いていましたが、これは綺麗な奥さんですなぁ」
何もそんな大声で言うことじゃないだろうに。
あまりの恥かしさに
「い、いえ、そんなことありません・・・」
かろうじて、たった、それだけを返すと
清水のだみ声は、さらに勢いを増していった。
「奥さんの美貌は評判ですよ。なんたって噂が豊洲にまで聞こえてくるほどですから。
築地中の男どもが自慢げに言ってますよ
美人なだけでなく、有名企業に勤めていた慶應出の才女だって」
もう聞いてられない。
私は助けてほしくて夫の方に目で合図を送った。
しかし、夫は満更でもなさそうな顔で頷いている始末だ。
この時から、私は清水という男が心底嫌いだった。
その発言もさることながら、私を見つめる嫌らしい視線のおぞましさに
身震いがした。
それなのに、夫は清水を信頼し、
あろうことか清水の口利きで
豊洲市場の場外、千客万来施設の近くに
弊社直営の店舗を持とうなんて話まで言い出した。
「バカなことを言わないで!」
嫌な予感しかしない。
当然、私は猛反対した。
しかし、
「お義父さんに認めて貰いたいんだ・・・」
たしかに、私の父からは勘当されたままで全く親交が無い状態だった。
「店を成功させて、お義父さんと一緒に千客万来施設にできる温泉に入るんだ」
そう語る夫の背中がなんだか寂しそうで、
結局は、私も賛成するしかなかった。
店をオープンするとなると
まず準備しなければならないのが資金だ。
保証金として家賃の1年分、そして、内外装費や什器や備品、
なんだかんだで2千万ほどが必要だった。
義父の残してくれたお金は
そもそもの豊洲への移転準備費用で全て使い果たし
それでも足りずに、信金から借りている状態だ。
「達也さん、やはりやめましょうよ」
私は思い切って夫に言った。
しかし、その時には、
夫は既にローンまで決めていた。
「大丈夫だよ。清水会長が金融屋に話を付けてくれたんだ」
「え?金融屋って・・・どこですか?どこの銀行ですか?」
「い、いや、さすがに清水会長のコネでも銀行は、ちょっと・・」
「ま、まさか、サラ金ですか!」
歯切れの悪い夫に私は思わず声を張り上げてしまった。
「いやいや、今は消費者金融って言うんだよ。清水会長の知り合いだし、
勝鬨の、ほら、角の所にある不動産屋の木島さん、知ってるだろ?
あの人も借りているらしいんだけど、けっこう親身になってくれる金融屋さんなんだ」
「ちょっと待って下さい!返済計画とかはどうなっているんですか!」
書類を確認すると年利10%ほどで、良心的とも思える金額だ。
「店がオープンすれば、すぐに回収できる、無理のない計画だろ?」
たしかにそうだった。
私達は豊洲市場への移転と同時に店のオープンの準備も
着々と進めていった。
それから月日が経ち、
息子もすくすく育ち3歳になった、ある日
水産仲卸業者にとって、とても大きな発表がされた。
そう。豊洲市場への移転延期だ。
つづく(暗転、巧妙な罠)
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