12月18

それはアスリートヌード、それも資金稼ぎのための仕方ない系ヌード

僕が長らく待望してきたムーブメント。
日本でも静かな胎動が始まりました。
それはアスリートヌード。
それも資金稼ぎのための仕方ない系ヌード。
遠征費用や大会出場費用、用具購入に練習場レンタルと際限なくお金のかかるアスリート活動のために、自分のカラダをお金に変える涙ぐましさ。
僕はそれをパトロン気分で支えたいと常々思っていたのです。
      
中西さんは1985年生まれの26歳。
2006年に仕事中に事故で右ヒザから下を失い、2007年から陸上に挑戦。
北京パラリンピックでは100メートルの6位、200メートルの4位に入賞しているとのこと。
100メートル、200メートル、走り幅跳びの日本記録を持つ、日本版女カール・ルイスといった感じの実力者であります。
      
中西麻耶で検索をかけると、その中に「かわいくない選手はセミヌード写真集を売れないからかわいそう」という意見があってつくづく発言者がかわいそうになった。
悪平等の典型である。
売る側、買う側双方の出る杭を打ってどうする。
てかさ、ヴィーナス姉妹の美って可愛いとかそういうレベルじゃないし。
      
     
    
中西麻耶
    
高校時代はソフトテニスでインターハイに出場。
卒業後、テニスで大分国体を目指した2006年、勤務先での事故で右膝から下を切断する大けがを負う。
退院後の2007年、障害者陸上に転向するや、瞬く間に100 m、200 mで日本記録を樹立し、障害者アスリートとして鮮烈なデビューを果たす。
事故からわずか2 年で2008年北京パラリンピックに出場し、100m6位、200m4位と、義足スプリンターとしては日本人女子初の入賞。
また、2012年ロンドンパラリンピックにも、走幅跳、100m、200mの3種目に出場。
      
       
現場作業中に、重さ5トンの鉄骨が崩れ、中西麻耶さんの右脚を直撃!
右脚を押し潰してしまいました。
      
『切断か、接合して様子をみるか』
    
という救急病院の医師の診断に対し、中西麻耶さんは
    
『先生、脚、切ってください。』
      
中西麻耶さんの両親は猛反対でしたが、中西麻耶さんには迷いはなかったそうです。
中西麻耶さんは
     
『切って義足にしたほうが早く復帰できる』
    
そう思ったようです。
半年間必死にリハビリを続け、なんとかプレー出来るまでになったそうですが、両足のある頃の自分にはほど遠く、脚を失っただけではなく、生きがいまで無くしたそうです。
      
『障害者なんだから、頑張らなくていい』
    
という一見優しく聞こえる言葉がさらに中西麻耶さんの心を傷付けていきました。
      
07年から義足を着けて陸上を始めた中西は、同年10月には100メートル(13秒84)、200メートル(28秒52)で日本記録を樹立。
08年北京パラリンピックでは100メートルで6位、200メートルで4位に入賞。
その後、走り幅跳びも始め、4メートル96で日本記録を更新した。
しかし、資金難から昨年は世界選手権出場を断念した。
      
3種目で日本記録を持つトップアスリートが、資金がなく世界選手権に出られないとは、障害者スポーツの悲哀を感じざるを得ない。
有力選手に対しては、国や協会がもっと支援できぬものなのか、疑問は尽きない。
      
      
     
【画像】
    
中西麻耶1.jpg
      

      

      

      

      

      
      
      
【動画】
      

      

      
      
      
【おまけ】
      

コピー