今や毒物の如く、持っているだけで罪になる女児のヌード写真。
だが、昭和末期にはある意味「アート作品」的な扱いで、一般書店の店頭に写真集が並んでいた。
全裸の女児が、股間のワレメを晒している写真。
俺はもうその頃成人していたので、堂々とそんな写真集を手に入れる事が出来た。
いや、特殊な書店を訪ねると女児が裸になっているだけでなく、男児と女児 大人と女児とが性的行為をしている写真集さえも、修正だらけながら手に入れることが出来たのだ。
「子どもが写っているのに、大人専用とは変な写真集だ。」などと疑問を持ちもせず、その写真集を見つめながら俺は 今までにない気持ちいい自慰をくり広げていた。
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しかし、そのころ多くの男は「子どもの裸なんか見ても仕方ない」と言う感じだった。
俺が女児の裸の写真集で性的興奮するのは、それなりの裏付けがあったからだ。
俺は自分がS学五年生の時から、同じS学生の 特に低学年の女の子の裸に興味があった。
その原因は、母親が読んでいた女性週刊誌にあった。
それには毎号のように、女子S学生たちの性的事件の記事が載せられていた。
自分と同じ年代の女の子たちが、近所のおじさんや学校の教師たちに「生理の出口」を指でいじられ、男性性器を射し込まれる体験記……もう性的行為について興味満々だった俺には、良い刺激となる文章だった。
そして時には、ランドセルを背負った女の子が男のヒザの上でタバコを吸っているようなイラストが添えられていて、俺の性的興奮に輪をかけたのだ。
俺は留守番の間、母親が居間に放置している雑誌を眺めながら自慰をした。
母親は俺がHなマンガやテレビを見ると激怒してたわりに、自分はこんな雑誌を読んでいたんだ。
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そんな俺だから、学校に行っても 特に低学年の女の子たちをいやらしい目で見ていた。
そのころはとにかく子どもが多かった。俺の小学校だけで生徒が1600人くらいいた。休み時間になると、校庭中庭だけでなく階段まで遊び場になってた。
やろうと思えば、低学年の子を陰に引きこんでパンツ脱がすことくらい出来た。
でもやっぱ、学校の子にそんなことしちゃマズイ。
俺は学校の帰りに別の団地に立ちよって、遊んでる小さな女の子たちをチェックした。
団地の遊び場に入りきれず、非常階段の踊場でひとり遊んでる小さな女の子。
そんな女の子に「俺と遊ばない?」と聞くと、女の子は速攻で「うん!」と返事したもんだ。
俺はランドセルから、手作りの『すごろく』を出して、鉛筆をサイコロがわりに、鉛筆のキャップをコマがわりにして、しばらく遊んだ。
女の子とすっかり馴染んだところで、俺は言ったんだ。
「俺、オシッコがしたくなっちゃった。」
そう言うと俺はためらわず、女の子の前でチンチンを出して、踊場の排水口めがけてオシッコしてやった。
女の子は横でジッと見るばかり。
俺はオシッコを出しおわると女の子に言った。
「キミもオシッコしといたら?」
「え、ここで……?」
「そうだよ。俺がオシッコするところ見たんだから、キミも見せてよ。」
女の子はパンツを脱いで排水口のところにしゃがみかけた。
「待って」俺は言った。「そこの階段の上からやって、俺に見せてよ。」
女の子は階段の上でパンツを脱いでしゃがんだ。俺は階段の下から女の子の股間のワレメを眺めた。
シャ───ッ
勢いよくオシッコがひと筋、ワレメのすき間から流れ出た。勢いがよくて、オシッコは階段を三段も飛びこして、四段目にピチャピチャと溜まっていった。
「この子は、ワレメのあんな真ん中あたりにオシッコの穴があるんだなぁ~。」
俺は下から女の子のワレメを見上げて思った。女の子はひとりひとり、オシッコの出口が微妙に違うようだ。
そう。俺は何十人という女の子のオシッコを眺めている。でも変な口止めしなくても、女の子たちは親に告げなかった。
そんな時代だったんだ。
今の俺なら、女の子のワレメを舐めたり、俺のチンチンをワレメにこすりつけたりと、いろんなプレイをしてることだろう。
だけどそのころの俺には、そんな事しか思いつかなかった。
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ネットで無修正のセックス画像が、当たり前のように見られても、それを眺めながら自慰をする俺が、射精する瞬間に思い浮かべるのは、あの頃みた「ホンモノ」の女の子たちのワレメだ。