祭り事は統治の意味でもあり、「お祭りをする」は性交の隠語でもある。
祭らわぬ(マツラワヌ)とは「氏上(氏神/鎮守神)を祭らわぬ」と言う意味だが、つまりは「氏族に従わない」と言う事で、この辺りの民心を慮(おもんばか)ると、氏上(氏神/鎮守神)の祭りに事寄せ、神の前の暗闇で乱交を行なうそれ事態が、ある意味「民の反抗心が為せる事」と言う読み方も伺えるのである。
こうした事例は何も珍しい事ではなく、日本全国で普通に存在する事だった。
そこまで行かなくても、若い男女がめぐり合う数少ないチャンスが、「祭り」の闇で有った事は否定出来ない。
これは祭礼と言うよりは物日なのだろうが、伊勢の山田辺りや越前の敦賀辺りには、旧暦七月十六日の夜は、どこの家へでも勝手につーっと入って、その家の「女房や娘と自由に交歓しても良い」と言う風習「ツト入り」があって、「実は全国的に在った」と言われるこの性開放の行事がはっきりと伝わっていた。
その庶民文化が、明治維新後の新政府の欧米化政策により都合が悪くなる。
諸外国と対等に付き合いたい日本国とすれば、性意識においておおらかな日本が欧米の物差しで計られて「野蛮・卑猥」と評されかねないからである。
性におおらかな風俗習慣は明治維新まで続き、維新後の急速な文明開化(欧米文化の導入)で政府が禁令を出して終焉を迎えている。