集団婚という婚姻形態は、ひとことで言えば複数の男と女がグループで婚姻関係を結ぶもので、日本を含めて採取時代から歴史的に長く行われていたかたちです。
また、妻問婚とは、男が女性のもとへ通う婚姻形を指しています。
この場合、語源についても「夜這い」→ヨバフ、ヨブ(男を「呼ぶ」)と解されているようです。
もうひとつは、近世郷村の農村社会に固有の様式、とみる立場です。
赤松啓介はどちらかというとこっちに近い。
つまり夜這いは、ムラの置かれた現実の状況(特に経済状況)に対して、村落共同体という自治集団を維持していくための実質的な婚姻制度、もしくは性的規範であるとする見方です。
ちなみに赤松は、「夜這い」を二つの類型に分類しています。
「総当り型」
若者に加え、既婚者も夜這いの参加を認める型(後家や女中、子守ももちろん含む)。20~30戸の小字が多い。
この型のなかでも、女房持ちは他人の女房を、若衆は娘をというように分化しているムラと、特に区別をしない文字通りの総当りであったムラとがあるようです。
ただしさすがに、他人の女房に夜這いするのは、主人が留守のときに限られるそうです。
「若衆型」
若衆仲間にのみ夜這いの権限が公認され、対象は同世代の娘仲間(+後家)に限られる型。
ムラの戸数は相対的に多く、若衆と娘の員数が均衡していることが多い。
この型のなかでも、基本的に全ての若衆と寝るやりかたと、ある程度の選別ができるムラとがあったようです。
また1年ごとにくじ引きで相手を決める方式を採用する例もあります。
総当り型に比べ様式化されたかたちと言えると思います。
この場合、嫁をもらうと基本的には、夜這いは卒業ということになります。
「総当り型」となるか「若衆型」となるかは、ムラの規模にもよりますが、そのムラの置かれた現実の経済状況による面が大きいようです。
いずれにしても表向きは(一応)一夫一婦制ですが、実態的にはその制度は解体され、代わりに皆が性的満足を得られるシステムで補完されていた、と見ることができるのではないかと思います。
そしてそのようなシステム=「夜這い」は村落共同体を維持するために必要不可欠であったがために、全国で普遍的に行われるようになったのだろうと思います。