07月10

由紀の部屋へ

情けないことに、僕は死んでしまいました。
ここだけの話ですが転落死です。
お恥ずかしながら僕はある女性に恋をしていました。
彼女の名前は由紀といいます。
その語感どおり雪のように綺麗な白い肌をした女性でした。
僕は一目見て、恋に落ちたのです。
由紀は大学二年生で、近所の書店でアルバイトをしていました。
無類の読書好きの僕は、これは紛れもなく運命だと思いました。
僕と由紀は結ばれるためにここで出会ったのだと、そう確信したのです。
僕は勇気を振り絞って、彼女に手紙を渡しました。
とは言っても手渡しでは恥ずかしがるだろうと思い、自転車のカゴへ。
アルバイトが終わり、僕の手紙に気付いた由紀は、それを鞄に入れて帰りました。
僕は幸せでした。
これで彼女に想いが伝わったからです。
明日からは晴れて、運命の相手である僕との幸せが彼女に待ち受けていました。
ですが、彼女からの返事はありませんでした。
むしろ毎日足繁く書店に通う僕と目が合うたびに、由紀は怯えた表情を浮かべるようになったのです。
僕は心外でした。
由紀のことを幸せにできるのは僕だけなのに、彼女は何も分かっていないのです。
それからというもの、僕は毎日アルバイトが終わる由紀を待ちました。
雨の日も、風の日も、夏の暑い日も、雪の日も。
彼女は僕を避けるように、急いで自転車をこいで去っていきます。
毎日、毎日、去っていきます。
僕は逆に考えました。
由紀の家で待ったほうが効率がいいのではないか?と。
我ながら名案だと、よろこび勇んで由紀のマンションに行きました。
八階建ての彼女のマンションは、非常階段からはしごで屋上に行けるようになっていました。
以前下調べをしていたのが役に立ちました。
僕は由紀の部屋に、屋上からそっと訪問するつもりでした。
ですが、あいにく雨の夜。
僕は足を滑らせて転落したのです。
そうして僕は死にました。

暗い、深い闇に僕は吸い込まれていきました。
その後で急に真っ白な光に包まれた僕は、驚きました。
気がつくと僕は、由紀の部屋の中にいたのです。
僕は自分の想いがどれほど強いものだったか、改めて実感しました。
死んだ後もなお、僕は由紀を見守りながら、永遠に側にいるのです。
僕はじっと由紀のベッドの枕元で、由紀の帰りを待ちました。
夏の雨上がりの、湿度の高い夜でした。
由紀は帰ってくるなり白いブラウスを脱ぎ捨てました。
その下の黒いタンクトップの胸元に、僕は吸い込まれるように近寄っていきました。
でも由紀は僕に気付かず、べたつく汗を流したいのか、お風呂へ向かいました。
僕は紳士的な守護霊となり、由紀を見守ることを誓いました。
お風呂から出てくる彼女を、天井に佇みながらじっと待ちました。
やがて、さっぱりした顔をして由紀が部屋に戻って来ました。
恥ずかしながら初めて見る女性の全裸でした。
その柔らかな白いカーブに、僕は見とれました。
ああ、本当なら僕が生きている間に、その肌に触れたかった。
でも今は叶わぬその想いを、せめて一瞬でも味わいたいと僕は願いました。
気がつくと僕は由紀の裸の胸に近づいていました。
細身だと思っていた由紀の美しいその丘陵に、僕は迷わず触れました。
柔らかさや、肌のすべらかな感触を味わうことはかないませんでした。
僕はもう生身の人間ではないのです。
それでもこの高まる情熱をどうしても伝えたくて、僕はそっと胸元にキスをしました。
するとどうでしょう。
僕の中に、彼女の火照った情熱が、激流のように流れこんでくる気がしました。
初めて触れる彼女の肌、由紀の胸元に浴びせた僕の熱いキス。
次の瞬間、奇跡が起きました。
由紀と僕の目が合ったのです。
強い想いがやっと通じ合ったのだと、僕は喜びに浸りながら、由紀をじっと見つめました。
一瞬驚いたような、困惑したような表情をした由紀ですが、すぐにいつもの表情に戻りました。
ふっと強い風が僕の身体を吹き抜ける感覚がありました。

「あー、刺された。最悪」
手のひらで潰れた蚊と、吸われたばかりの赤い血を由紀はティッシュて拭くと、それを丸めてゴミ箱へ捨てた。
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