昔は母系社会だったから、母系が重要なのであって、異母兄妹とはそれほど近親意識は持てなかったのかも知れないな。
同母の兄弟を示す、「いろせ・いろも」との言葉はあるが、異母の兄弟を示す言葉は私が知らないだけかも知れないが無いからね。
だから異母兄妹での婚姻も出来たわけであってね。
さらに古代になれば、家単位より氏単位が重要でなかったのかね?
その氏の女が産んだ子供はその氏の子供であり、父親の氏など関係ない。
実際、魏志倭人伝では倭人は多くの妻を娶っていたと書かれているが、これは一夫多妻ではなく多夫多妻であったと考えられている。
つまり結婚や内妻というのは確かにあったのだろうが、現在の感覚よりそれは遥かに緩やかなものであって、妻が多数の男と関係をもつことも珍しくなかった。
現実に藤原不比等あたりも、天皇の妻となった自分の異母妹との間に子供をもうけている。
天皇の妻でもこれでは庶民の姓関係もいまの感覚で言えばさらに乱れていただろうな。