もう自分は50を過ぎた。人生の半ばをとっくに過ぎている。
この場を借りて、懺悔をしたい。
もう20年以上の前のことなので、詳しいことは覚えていないし、
覚えていても多分記憶が美化されているだろう。
それでも、名前は仮名にして、ここに書く。
自分は高校まで地方都市で過ごしていたが、大学からは東京だった。
首都圏の満員通学になれず、毎日、ヘトヘトしていた。
ただ単位を取るためだけに、つまらない授業を受けていた。
ちょうどバブルがはじけた後だっただけに、親の仕送りだけに頼るわけにいかず、
夜はファミレスでバイトをしていた。
バイトには、高校生や大学生、主婦など、様々な人がいた。
当時、童貞であった自分は女性への接し方も分からず、
女性と話をしても、自分の気持ちや意図を伝えることはできなかった。
今でいうとコミュ障害であったと思う。
そういう中で、気が合う女性がいた。
9つ上の主婦の奈津子さんだった。
奈津子さんは、さすが、主婦というわけ合って、話がうまく、
コミュ障害の自分でも気軽にしゃべることができた。
奈津子さんの旦那さんは10以上も年の離れた銀行員であり、金目当てで結婚した。
旦那は出世のことばかり考えて仕事ばかりしていて、
全然、奈津子さんのことを構ってくれないみたいだった。
奈津子さんは30手前だったから、相当、溜まっていたのかもしれない。
いつしか、奈津子さんのマンションに行くようになり、
自然とSEXをするような仲になってしまった。
どういう経緯でマンションに行くようになり、
どういうきっかけで、SEXするようになったか、はっきりと覚えていない。
覚えていることは自分の初めての相手が奈津子さんであり、
生でしたけれども、外に発射したことだけである。
そして、SEXはこんなものかと思った。
あまり気持ち良くなかった。
後々、経験を積んで分かることなのだが、初めての相手とSEXはあまり気持ちが良くならない。
ただ、最初の頃は、SEXをしたという行為の達成感、女性に突き刺したという征服感、ぐらいしか感じない。
本当に気持ち良くなるのは、お互いに好きだという気落ちがあり、
何回もSEXを重ねて、好きな男のちんぽに合わせて膣の形が変わり、
お互いの腰の動きが合ってきて、男性と女性が一つに溶け合って、
女性を自分の所有物としてからだ。
こうなると、女性は中出しを許してくれる。
開き直った女性は怖い。
いつからか奈津子さんに必ず中出しするようになった。
子供ができそうなときは、必ず旦那さんと偽りのSEXをして、ばれないようにしていた。
旦那さんは淡泊だから、旦那さんの種では妊娠しないと確証していた。
何度も逢瀬を繰り返し、、年の瀬になると、奈津子さんから妊娠したと伝えられた。
間違いなく自分の子供だ。
旦那とはアリバイを作ってあるから、多分、ばれない。
だから、自分の子供を旦那の子供として産んで育てる。
自分に迷惑を掛けない。
だから、もう自分には合わない。別れて。
そのように伝えられた。
以上が20数年前の話である。
最近のことである。
興信所か何か使ったのであろう、
数か月前に、奈津子さんから会社の電話にかかってきた。
20数年ぶりに奈津子さんと会った。
奈津子さんは60を超えたおばさんであったが、昔の面影は残していた。
右手の薬指に湿った感覚が甦るとともに、年甲斐もなく、勃起してしまった。
奈津子さんとの話は、このような話だ。
今は娘一人と暮らしている。
旦那とは既に死別しているが、たくさん遺産を残してくれたので、生活には困らない。
娘が今度結婚することになった。
一目で良いから、娘の晴れ姿を見に来てくれないかと言うことだった。
寒い季節に、都内の結婚式場に娘の晴れ姿を見に行った。
背筋がピンととおっていて、きれいな女性だった。
奈津子さんと眼が合った。
お互いに軽く会釈をした。
このとき、初めて、奈津子さんの旦那の存在を感じた。
奈津子さんの旦那さんは社会的には優秀であり、奈津子さんに多額のお金を残してくれた。
奈津子さんと自分と奈津子さんの娘のために、働いてくれた。
自分の娘は、これほどまで美しく、綺麗になった。
育てれくれて、ありがとうと心の中で思った。
托卵。
もしかしたら、日本では、こういうことは良くあるのかも知れない。
昔は盆踊りの後は無礼講乱交パーティーがあったと聞くし、
戦後の混乱期でも、こういうことは良くあったと聞く。
さらに思う。
自分も年の離れた若い嫁さんがいる。
とてもかわいい娘が二人いる。
娘たち、果たして、自分の娘か?と。
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