11月13

僕子2

大学生活も体に馴染み、俺は新しい環境にすっかり順応していた。
そんなふうに言えば聞こえはいいが、
環境の変化に多少の張りがあった生活も、すっかりだれてしまったと言った方が正しいかもしれない。
しかもまさに生かすも殺すも自由な夏期休暇になると、さしてバイトも入れていない俺は悠々自適な毎日を送っていた。
同級生から僕子の噂を聴いたのは、そんな時のことだ。

就職した僕子に遠慮し、俺はしばらく連絡をとっていなかった。
正直に言うと僕子の電話番号をディスプレイに表示させて、ただ眺めるなんて事が何度かあったのだがそんな事はどうでもいい。
なんでも僕子は、就職先でかなりの才能を発揮していたらしい。
上司にも気に入られ、それなりの肩書きまでもらっているそうだ。

少しも不思議じゃない。
いかにも僕子らしい、いや僕子なら当然だろうと思った。
何故か俺が誇らしい気持ちになる。

だが重要なのは、ここからだった。
その目をかけていてくれていた女性上司が、地方で新しい店を手がける事になったらしい。
それに一緒にこいと誘われ、OKしたとの事だった。
行動派で決断の早い僕子の事だ、二つ返事でOKしたのだろう。
直接なんの連絡も来ていないことに一抹の寂しさを感じながらも、堂々と連絡する理由ができたとに俺は喜んでもいた。

「よ?う、久しぶりじゃんか?全然連絡くれないから、てっきり私捨てられたのかと思ってたよ?」
しょはなっからハイテンションで電話にでた僕子は、俺が知ってる僕子以外のなにものでもなかった。
まったく、どう話そうかとウジウジ考えてた自分が馬鹿らしくなる。
だが僕子の本領はここからだった、俺は次々とビックリさせられる事になる。

まず僕子の新天地がとんでもない僻地だという事、ちょっとやそっとで戻ってこれる場所じゃない。
しかも夏休み開けにはすぐに引っ越すという事。残りはもう一週間もなかった。
続いて、つい最近バイクで転んで怪我をしたという事。
そしてそれを期に、あんなに好きだったバイクを止めたという事。
休む間もなく突きつけられる、驚きの連続。

とりあえず二日後に会う事に。
「どこ行くか、なんだったらバイクだそうか?」
「実はさ、まだちょっと足が痛いんだぁ」
「マジで?、ホントに大丈夫なのかよ?」
「いや大した事ないんだけどさ、ちょっと出歩くのは辛いからウチこない?」
なんでも高校卒業と同時に両親は田舎に帰ってしまい、今は会社で借り上げてくれているアパートにすんでいるらしい。
「おっけーおっけー」
「手土産わすれんなよなっ」
「お前ふざけんなよ?」
数ヶ月の間話していなかったとは思えない。
高校時代そのままの、僕子との会話がめちゃくちゃ楽しかった。

待ち合わせ場所は、僕子の家の最寄り駅。
そこに現われた僕子を一目みるなり、俺はかなり動揺した。
あのスポーツ刈り頭は微塵も無く、ふわっふわのショートカットになっていた。
それは顔の小さい僕子にピッタリマッチしている。
そしてなにより、あの僕子がスカート姿だったのだ。
小柄でキュートな女の子、実際すれ違う男の視線を何度か引き付けていた。
「あぁ、僕子ってこんなに可愛いかったんだなぁ」そうシミジミ思った。

俺の視線に気づいた僕子が、コツンと蹴りをくれる。
「なによ?、私だってスカートくらい履くのよ」
チョット拗ねた様に口を尖らせる。
「あ、いやさ、予想外に似合ってたからさ」
「ドカッ」
すかさず強烈な蹴りが入る。

「イテッ!、おまえ足平気なのかよ?」
「あぁうん、たいした事ないんだって、なんか捻ったみたいになっちゃってさ違和感あるだけ」
「単独だったの?」
「実はさ…、たちゴケしちゃって…」
僕子はバツが悪そうに頭をかいてみせた。
「はぁ?、お前が?、なにやってんだよ」
「仕事帰りでボーっとしてたみたいでさ、会社からバイクやめろって言われちった」
「そっか…」
「まぁどうせ向こうにバイク持って行くのは無理だったしさ、思い切って手放したんだ」
俺は上手く言えない寂しさのような物を感じたが、僕子自身はもっとそうだっはずだ。

沈んだ空気を蹴散らすように、僕子が声を上げる。
「で、その手にもってる袋なによ?」
「あぁ、近所にケーキ屋が出来てさ、結構有名な店らしいのよ」
ケーキを受け取った僕子は、悪戯っぽい目をして言った。
「お?なんだよ、私に小細工使うようになったんだ?」
「お前が手土産もってこいっていったんだろ!」
すかさず僕子も言い返してくる。
「私がそんな図々しい事、いつ言ったよっ」
はぁ、おれは大袈裟にため息をついて見せる。

「お前っばかっ、それケーキだって、ブンブン振り回すなよっ」
「遠心力?」
僕子は、ケーキの袋を楽しそうに振り回していた。
まったく…
一緒に歩いていて思った、俺たちってずっと兄妹みたいだったな。
いや、姉弟かもしれんが…

少しドキドキしながら入ったその部屋は、いかにも僕子らしい部屋だった。
色気のあるものは皆無。
機能的で必要な物が必要な所においてある、そんな感じ。
そして部屋に不釣合いな馬鹿でかいベットだけが、やけに自己主張していた。
どうしても俺の目が、そちらに行ってしまう。
なにかよからぬ妄想をしそうになる自分と闘っていると、僕子がキッチンから皿を取り出して出てくる。
「そうそう、ケーキあるんだけど良かったら食べない?」
「俺が買ってきたんだろ」
「まぁまぁ、遠慮しないで」
「お前が遠慮しろっ」
正直助かったよ僕子。

それから俺たちは、時間を忘れて喋りあった。
こんなにも喋る内容があったのかと思うほどに。
話に合わせてクルクルと動く僕子の表情、アクションを見せる腕、滑らかに動く指先。
いくら見ていても飽きなかった。
一番多く話したのは僕子の仕事の話。
仕事の話をする僕子はイキイキと輝いていて、饒舌だった。
本当に仕事が楽しいんだな。
俺はそんな僕子を、誇らしく思い、羨ましく思い、なぜだか寂しくもあった。
実際にその仕事が、僕子を遠くへ連れ去ろうとしているわけだ。
そう思うと、俺の気持ちがますます沈んで行く。
胸と腹のあいだ辺りに押さえ込んでいた「モヤモヤ」みたいな物が、一気に膨らんだ気がした。

「お前、ホントに行っちゃうんだな」
僕子は少し間を置いてから、力強く頷いた。
「うん」

「なんか俺さ、僕子にはいつでも会えるって気がしてたんだ」
僕子は俺の目をじっと見ている。
「うん」

「また僕子とツーリング行きたいと思っててさ、行けるもんだって思ってた」
「うん」
「でももう、それは無いんだと思うと、寂しいな…」
俺は自分のつま先の辺りを見つめて、うつむいた。
ふと、自分が泣くんじゃないかと思った。

すると不意に僕子が立ち上がった、そして俺の隣にやって来てトサッと座った。
ピッタリと体が寄っていて、僕子に触れた部分がすごく熱く感じた。
「私、上司に誘われた時ね、その場ですぐについて行こうと思ったの」
俺はだまって聴いていた。
「友達の事、バイクの事、家族の事、なに一つ頭に出てこなかった」
「不思議なほど、障害になるものが何もなかったんだ」
そういうと僕子の言葉は途切れた。
でも何か真剣に考えている様子だったので、俺は黙って待った。
しばらくして僕子は小さく呟くように言った。
「でもさ、ひとつだけ、ひとつだけ頭に浮かんできたのが(俺)の事なんだ…」
俺にとって、これ以上ない衝撃の言葉だった。
後ろから頭を強くなぐられたような感覚。

「ホントは私ね、黙っていなくなるつもりだったんだよ」
「だから(俺)から電話が来た時はビックリした」
ゆっくりと、独り言のように話す僕子。
「昨日さ美容院いって、スカートも買ってきた」
そういって良く似合っているスカートの裾を引っ張っる。
「めちゃくちゃ緊張したぞ」
照れくさそうに笑ってみせる僕子。

だけど僕子はまたすぐ真面目な顔に戻る。
「ツーリング行った日の夜さ、私の胸揉んだ事覚えてる?」
俺の心臓が驚いて、変な音を立てた。
もちろん忘れる訳がない、いや忘れられる訳がない。
だがその時俺は、パンチの連打を浴びたボクサーのような状態。
さっきからの強烈な言葉にすっかり参っていた俺は、首を立てに振るだけで精一杯。

「一緒に付いて来てくれない?って真剣な顔の上司の前でさ、何故だか私(俺)に胸揉まれた時の事思い出してんの」
そう言うと僕子は、自分の膝に顔を突っ伏して可笑しそうに笑った。
いつまでもそうして肩を震わせているものだから、俺は一瞬僕子が泣いているのかと思った。
次の瞬間サッと顔を上げ、俺の顔を見つめてきた。
柔らかなやさしい目。
「あの時私の事、抱きしめようとしてたでしょ?」
「うん」
「隣にみんながいたしさ、私恐くなって突き飛ばしちゃったの」
俺はあの時の、裸で胸を隠す僕子の姿を思い出していた。
僕子はコクリと喉を鳴らすと、俺の目を見たまま言った。

「でもさ、私今なら突き飛ばさないと思うんだ…」

KOパンチだった。
目の前がチラチラして頭が真っ白になった。
これは、行かなきゃ駄目だよな。
俺は最後の力を振り絞るようにして、肩に腕をまわす。
そしてぎこちなく僕子の体を引き寄せる。
とたんに俺は僕子の匂いに包まれる。
俺の胸で、僕子が大きく息をつくのが解かった。
なんて細くて小さいんだ。
あの生き生きとみなぎるパワーが、この体から出てくるなんて信じられない。
僕子の手が俺の背中にまわりしっかりとつかまれた時、俺の頭の中は僕子だけになった。

僕子の裸は透き通るほどに真っ白で、俺が触れた場所だけ赤みを帯びた。
俺は僕子の体を、隅ずみまで赤くさせるので夢中になった。
最初はされるがままだった僕子も、しばらくすると俺の体を撫でてくる。
少しひんやりとした、柔らかな手で触られるのは夢のような心地だった。
ただ触れ合うっていう単純な行為が、とんでもなく気持ちの良い事だと俺は初めて知った。

財布から前日忍ばせたゴムを取り出したときの、僕子の茶化すような目が忘れられない。
「なんでそんな物が入ってるんですか?」そんな風に笑っているようだった。
なにか全て見透かされている気がして、俺の顔はその日で一番赤くなった。
俺はそれを誤魔化すように、乱暴に僕子に覆いかぶさる。

しばらくすると俺の動きに合わせて、僕子は時折小さな声を上げるようになっていた。
俺はその声がもっと聴きたくて、必死で体を動かす。
僕子は首を反らせ小さな顔を火照らしていた、何かに耐えるように強く目をつぶっている。
小さく開いた口からは絶えず熱い息が吐き出され、時折耐えかねたように悲鳴のような小さな声が漏れる。
白い手はシーツを強く握り締め、さざなみの様なしわを作っていた。
そして僕子の小ぶりで張りのある胸が、弾むように上下に動く。
なんだか幻想的な姿だった。
いつまでもこのままいたい、そう思った。

夢のような出来事なんて、いつだって一瞬ではかない。
俺はすぐに耐えられなくなり、僕子の隣に倒れこんだ。
急速に体から熱が逃げてゆく。
充実感と気だるさ、まるで正反対の波に漂いながら
体を離した後も、二人そのままの姿で長い事寝転んでいた。

気が付くと僕子の手が、俺の手をしっかりと握っている。
長い事一緒にいたが、手を握る事なんてなかったな。
このままずっと握っていれば、僕子はどこにも行かないんじゃないか?
そんな子供じみた事を考えたりした。
しかし俺は、僕子の事を良く知っている。
僕子は行動を始めたら、なにかに未練を残したり後ろを振り返ったりするような奴じゃない。
全てを捨てて、全力で前に向かっていく。
今までもそうだったし、そしてキットこれからも。
そしてだからこそ俺に体を許したんじゃないか、そんな気がした。
僕子は軽く目を閉じ穏やかな顔をしていた、呼吸に合わせてゆっくりと胸の膨らみが上下している。
俺はそれをいつまでも眺めていた。

夕方から用事があるという僕子は、俺を駅まで送ると言った。
用事があるなんて嘘だろうと、俺はすぐにわかった。
だが俺だって男だ、僕子の気持ちも察っしていたし覚悟もできていた。
外に一歩出ると、なんらいつもと変わらない空気。
部屋のなかでの、ついさっきまでの出来事が嘘のようだった。

俺たちはいつもと同じように冗談を言いながら歩いていたが、駅が視界に入った時、僕子が突然腕をつかみしなだれかかって来た。
最後の本当に短い時間を、俺達は無言で歩いた。
駅の近さを呪うなんて、おかしな話だ。

僕子の腕がゆっくり離れていった時、俺は深い喪失感みたいなものを感じた。
僕子は俺の腕を放すと、スキップするみたいに ひょいっひょいっと 後ろに下がる。
そして片手を上げるとニコッと笑って言った。

「じゃ?な」

俺は胸がひしゃげた。
その じゃ?な の意味するところを悟ったからだ。
それは「またな」とかいうニュアンスの物では無かった、本当のさようなら そういった響きだった。
お互い頑張ろうな、そんなふうにも聴こえた。
すぐに気を取り直した俺も、僕子の目をしっかり見つめて想いをぶつけてやった。

「僕子、じゃ?な」

僕子も一瞬ハッとした顔をしたが、すぐに顔をクシャっとさせて笑った。
その表情は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。
俺はクルリと背を向け歩き出すと、もう二度と後ろは振り返らなかった。
振り返ったりしたら僕子に笑われる、きっとがっかりさせる、そんなふうに思ったんだ。
僕子の視線を背中に感じながら、俺は構内へと入っていった。
夏が終わろうとし始めている、そんな頃の話だ。

休みが開け、普段の日常が始まれば時間なんてあっという間だ。
時の流れなんてエスカレータみたいなもんで、いくら俺が立ち止まっていようとグングン進んでいってしまう。
僕子の事も、今ではなんだか昔の出来事に感じる。
その年の暮れの頃だったか
俺は一度だけ僕子の携帯に電話をしてみたんだが、その番号はもう使われていなかった。
「あぁ、あいつ頑張ってるんだな」
そう思って俺はひとりでニヤッと笑ったものだ、清々しい気持ちだった。
僕子もたまに、俺の事を思い出したりしてくれるのだろうか。
そうであってくれれば嬉しいのだが、あいつは意外と冷たい奴だからな。

俺には今、付き合っている子がいる。
僕子とは全てに置いて正反対のような子だ。
のんびり屋でおっとりしていて、部屋のヌイグルミに名前をつけるような子だ。
俺の携帯の通話履歴やメールは、今や八割方この子の名前で占領されている。

だけど俺の携帯のアドレスには、今でも僕子の番号が残っている。
もう使われてもいない番号だが、この先も消す事はないだろう。
女々しいとか言うなよ、これくらいはいいだろ?
この番号は俺にとって特別、お守りみたいなものなんだから。

これで俺と僕子の話は完全に終わりなんだが、最近ひとつだけ思っている事があるんだ。
それは、僕子がバイクで足を怪我した事。
あれは嘘だったんじゃないのかと、最近思ってるんだ。
小さな体でも、自在にバイクを操っていた僕子。
いくら疲れていたって、あの僕子が立ちゴケなんてどうしたって考えられない。
それにあの日僕子は、外傷どころか特に足をかばってる様子もなかった。
会社にバイクをやめろと言われたのは本当かもしれない。
向こうに持っていくのも無理だったのだろう。
でも立ちゴケして、足を怪我したなんていうのは嘘だ。
それはあの日、俺を部屋に誘うための嘘だったんじゃないか?そんな風に思うんだがどうだろう?
これはあまりにも都合の良い考えだろうか?

もしもいつか僕子と再会する事があったら、この事を聞いてやろうと思ってる。
そうしたらきっと僕子は、俺の大好きだったいたずらっぽい目を見せて笑い、蹴りを入れてくる
そんな風に思うんだ。

              ー完ー

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