昭和二十年の初めまで、関東から以西の主に沿海部の漁村に分布する独特の風俗習慣に「寝宿(ねやど)」と言う制度があった。
北日本、東日本ではその存在が希薄である「寝宿」は、地方により「泊り宿」や「遊び宿」とも言う。
若い衆には「若い衆宿」、娘衆には「娘衆宿」があるのが普通だが、男女別のものばかりではなく、土地によって同宿のものもあった。
集会場や仕事場としてのみ用いられるものは「寝宿」とは呼ばない。
「寝宿」は文字通り寝泊宿で、男子の場合、若い衆へ加入と同時に「寝宿」へ参加するものと、「寝宿」へ加入する事が、逆に若い衆組への加入を意味する「形態」とがある。
娘衆の場合、集会としての娘宿は多いが、寝泊宿の例は比較的少なかった。
たとえ、寝泊宿があったとしても、いずれにせよ、一つの寝宿に兄弟姉妹が同宿する事は避けるものであった。
寝宿の機能は、「婚姻媒介目的」と「漁業目的」の二つに大別され、双方を兼ねる場合もある。
婚姻媒介目的の場合、若い衆は「寝宿」から娘衆の家・娘衆宿・娘の寝宿へ夜這い(よばい)に訪れ、おおらかに相性を確かめた上で将来の伴侶を選んだのであり、そのさい宿親と呼ばれる宿の主人夫婦や宿の若い衆仲間達が、助言や支援を行った。
つまり、明らかに村落共同体としての合意ルールによる「夜這い」である。
いずれにしても、この寝宿制度は「夜這いを容易にする手段でもあった」と言える。
したがって結婚すれば寝宿から卒業する地方もあった。
一方、漁業目的の場合は、寝宿から夜間の漁に出たり、寝宿に宿泊して遭難、災害、紛争(他の村落相手)等の非常時に備える現実的な目的(今で言う自警団)があった。
「寝宿」としては、一般に新婚夫婦のいる家屋の一部屋を利用するものが多いが、漁業に関係した「寝宿」は網元の家が用いられる事もあつた。
また寝宿専用の家屋が常設されている地方もあった。
こうした慣習が、関東以西の広範囲に大正末期までは顕著に続けられ、その名残は、地方によっては村の青年団や消防団などがこうした習慣を継承して、昭和の二十年代初めまで続いていたのである。