昭和40年代末期、僕はs6年生でした。
僕の住んでた団地では、s1・2年生の子を6年生の「班長」が学校まで連れていくという決まりがありました。
通学路は ほぼ自動車が入れなかったのですが、ちっちゃい子の安全のために集団登校していたのです。
そのころの団地は小学生がいっぱいいて、僕の棟だけでも、5人の子を……しかもみんな女の子を連れて登校していました。
新入生の子が集団登校に慣れてきたころでした。ひとりの女の子が僕に
「班長さーん!」
と声をかけました。
「なあにー?」
「オシッコしたいのー!」
「ええーッ?」
困りましたが、仕方ありません。僕は女の子を道路沿いの植え込みにしゃがませて、オシッコをさせました。
オシッコをすませた女の子が立ち上がった時、僕は見てしまったのです。
女の子の丸と丸が両側から合わさって、より美しい丸を描いたお尻を。
(可愛い…… なでなでしたい……)と思いながらも、僕は近くで様子を見てる女の子たちの手前、こう言いました。
「みんな、学校に出る前には ちゃんとおトイレに行っておくんだよ。」
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ところが、です。
それからと言うもの、女の子は そのあたりに来ると、
「班長、オシッコしたーい!」
と言いだすようになったのです。
その子だけではありません。他の子も
「私も、オシッコするー!」
と言って、しゃがみ出すのです。
僕は困りました。
他の棟の子に見られたら、大変だからです。
僕は通学路から少しはずれた、ちょっと奥まった所に 壁に囲まれた場所を見つけました。
前はゴミ焼き場として使ってた所だったのです。
僕は女の子にオシッコをガマンさせてそこまで連れていき、遠慮なくオシッコをさせました。
時には5人全員で、壁に向かってしゃがんで 赤いランドセルの真下にωの形のお尻を見せる「連れション」の女の子たち。
ある日、僕は
「班長も、オシッコしようかな。」と言っておチンチンをつまみ出しました。
女の子たちはみんな
「えー、見せて 見せて!」と僕のそばに集まりました。
僕はゆっくりオシッコをはじめました。
「『立ちション』見るの初めてー!」
「うわー、おもしろーい!」
僕はちょっと得意になって、おチンチンを小刻みに揺らしました。
「キャハハーッ! オシッコが踊ってる!」
女の子たちはよほどこれが気に入ったようで、それからしばらく登校のたびにここに来ては、「オシッコの踊り」を楽しむようになりました。
それだけではありません。
まもなく 女の子たちは日替わりで、僕のおチンチンをつまんでは、オシッコを踊らせるようになったんです。
僕は毎朝、女の子たちを喜ばせるために水分をいっぱいとって、オシッコをガマンしながら集団登校にのぞんでいたのでした。